霧馬山鐵雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
霧馬山 鐵雄 Sumo pictogram.svg
基礎情報
四股名 霧馬山
本名 ビャンブチュルン・ハグワスレン
Бямбачулуун Лхагвасүрэн
生年月日 (1996-04-24) 1996年4月24日(23歳)
出身 モンゴルの旗 モンゴルドルノド県
身長 184cm
体重 125kg
BMI 36.9
所属部屋 陸奥部屋
得意技 左四つ・寄り・投げ
成績
現在の番付 西十両9枚目
最高位 西十両9枚目
生涯戦歴 121勝65敗13休(26場所)
優勝 幕下優勝1回
三段目優勝1回
データ
初土俵 2015年5月場所
趣味 絵を描くこと[1]
備考
2019年7月21日現在

霧馬山 鐵雄(きりばやま てつお、1996年4月24日[2] - )は、モンゴル国ドルノド県セレグレン村[1]出身の大相撲力士陸奥部屋所属。本名はビャンブチュルン・ハグワスレン(モンゴル語キリル文字表記:Бямбачулуун Лхагвасүрэн)。身長184cm、体重125kg、血液型はA型[1]。最高位は西十両9枚目(2019年7月場所)。

人物[編集]

入門前[編集]

ドルノド県でを飼育する遊牧民の父の下に生まれる[2]。幼い頃から父親の仕事の手伝いで乗馬を行うなど、自然と足腰が鍛えられた[2]

2014年に知人から、日本で相撲取りになるテストに誘われ、興味本位で何となく日本へ。同じようにテストを受けるためにモンゴルから日本を訪れた4人と共に陸奥部屋で稽古を行った[2]柔道経験はあったが、相撲経験はなかった。また、当時の身長は180cmを超えていたが、体重は70kgに満たない細い身体であった。しかし陸奥親方は「5人の中で一番センスがあった」と当時を回想している[2]。ただ、当時の陸奥親方には日本以外の出身の力士を弟子にする意向は無く、モンゴルからの5人を「テスト」という形式で受け入れたことも、後援者から頼まれたことによるものだった[2]

陸奥部屋入門から十両昇進まで[編集]

陸奥親方が部屋に5人のモンゴル人を体験入門させてから1ヶ月ほどが経った頃、親方は後援者からの催促もあって、「親孝行がしたい。将来は日本に両親を呼びたい」と言ったハグワスレンを弟子として受け入れることを決断した[2]。ハグワスレンは2015年2月28日の新弟子検査を受けて合格し[1]、興行ビザの取得を待って[1]同年5月場所で初土俵を踏んだ[3]。2015年5月場所初土俵の同期生には千代の海がいる[3]。新弟子が通う相撲教習所では、自身は相撲未経験ながら、北勝富士(当時の四股名は大輝)宇良ら学生相撲出身で後に幕内まで上がる力士相手に堂々と渡り合っていた[4]

序ノ口、序二段は各1場所で通過し、三段目に昇進した同年11月場所は7戦全勝で三段目優勝を果たした。2016年1月場所で幕下に昇進。同年5月場所後の稽古中に左膝内側側副靭帯部分断裂の重傷を負い[5]、翌7月場所は自身初めての休場となって三段目へ陥落したが、1場所で幕下へ復帰し、同年11月場所以降は幕下に定着した。2017年9月場所は、左手の小指付近を手術した直後だが強行出場[6]。しかし、最初の相撲であっさり敗れたため、2番目以降は休場となった[6]

2018年5月場所は、西幕下35枚目の地位で7戦全勝とし、自身初めての幕下優勝を果たす[7]。翌7月場所は十両目前の西幕下3枚目まで上がったが、最後の相撲で負け越して十両昇進を逃した[2]。西幕下筆頭となった2019年1月場所は、最初の相撲で十両力士と対戦して敗れるも、2番目から4連勝して勝ち越しを決め、十両昇進を確実な状況とした[8]。場所後の番付編成会議で、正式に3月場所での新十両昇進が決定した[9]。陸奥部屋からの新十両誕生は、2008年1月場所の霧の若以来、約11年ぶりのことだった[9]。入門当初、師匠から「関取になるまでモンゴルに帰るな」と命じられたが、その約束を果たした格好となった[10]

主な成績[編集]

2019年7月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:121勝65敗13休(26場所)
  • 十両成績:27勝18敗(3場所)

各段優勝[編集]

  • 幕下優勝:1回(2018年5月場所)
  • 三段目優勝:1回(2015年11月場所)

場所別成績[編集]

    
霧馬山 鐵雄
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2015年
(平成27年)
xx (前相撲) 西序ノ口20枚目
5–2 
西序二段67枚目
6–1 
西三段目96枚目
優勝
7–0 
2016年
(平成28年)
西幕下59枚目
3–4 
東三段目13枚目
4–3 
東三段目3枚目
6–1 
西幕下30枚目
休場
0–0–7
東三段目11枚目
6–1 
東幕下35枚目
5–2 
2017年
(平成29年)
東幕下20枚目
5–2 
西幕下12枚目
3–4 
東幕下18枚目
6–1 
東幕下10枚目
3–4 
西幕下14枚目
0–1–6 
西幕下49枚目
6–1 
2018年
(平成30年)
西幕下21枚目
4–3 
東幕下16枚目
2–5 
西幕下35枚目
優勝
7–0 
西幕下3枚目
3–4 
東幕下6枚目
3–4 
西幕下12枚目
6–1 
2019年
(平成31年
/令和元年)
西幕下筆頭
4–3 
西十両14枚目
9–6 
西十両11枚目
8–7 
西十両9枚目
10–5 
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 霧馬山 鐵雄(きりばやま てつお)2015年5月場所 -

出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e 相撲』2015年4月号(春場所総決算号)、ベースボール・マガジン社、2015年、 118頁。
  2. ^ a b c d e f g h “十両昇進を逃した霧馬山を発奮させた師匠陸奥親方の言葉 師弟で誓った秋場所のリベンジ”. スポーツ報知. (2018年8月18日). https://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20180818-OHT1T50058.html 2019年1月30日閲覧。 
  3. ^ a b 相撲』2015年6月号(夏場所総決算号)、ベースボール・マガジン社、2015年、 115頁。
  4. ^ 相撲』2015年12月号(九州場所総決算号)、ベースボール・マガジン社、2015年、 93頁。
  5. ^ 相撲』2016年10月号(秋場所総決算号)、ベースボール・マガジン社、2016年、 94頁。
  6. ^ a b 相撲』2017年10月号(秋場所総決算号)、ベースボール・マガジン社、2017年、 82頁。
  7. ^ 相撲』2018年6月号(秋場所総決算号)、ベースボール・マガジン社、2018年、 68頁。
  8. ^ “霧馬山、新十両決定的に「早く関取になりたかった」/初場所”. SANSPO.COM. (2019年1月21日). https://www.sanspo.com/sports/news/20190121/sum19012121440008-n1.html 2019年1月30日閲覧。 
  9. ^ a b “若元春、霧馬山が新十両 大相撲春場所の番付編成会議”. 産経新聞. (2019年1月30日). https://www.sankei.com/sports/news/190130/spo1901300013-n1.html 2019年1月30日閲覧。 
  10. ^ 新十両霧馬山が師匠の約束守り関取でモンゴル里帰り 日刊スポーツ 2019年2月1日10時0分(日刊スポーツ新聞社、2019年2月1日閲覧)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]