雲の上団五郎一座
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『雲の上団五郎一座』(くものうえだんごろういちざ)は、1962年に東宝系で公開された日本映画、および1965年にテレビ放送された榎本健一主演の舞台である。
映画[編集]
1962年4月15日公開。宝塚映画製作。カラー。東宝スコープ。上映時間84分。映倫No.12753。
1963年7月28日には続編として『続 雲の上団五郎一座』が公開された。
キャスト[編集]
- 酒井英吉:フランキー堺
- 仁木のり蔵:三木のり平
- 輪八太蔵:八波むと志
- 万はるみ:水谷良重
- 雲の上団五郎:榎本健一
- 万善五郎:花菱アチャコ
- 親分辰五郎:藤木悠
- 柳川社長:高島忠夫
- 女房おしま:清川虹子
- 妾お柳:北川町子
- 浅山道子:筑波久子
- 村井武雄:森川信
- 矢利通:由利徹
- 須山新二:佐山俊二
- 三上俊夫:南利明
- 医者:藤田まこと
- 茶川一郎
- 松本菊之丞:沢村いき雄
- 広田課長:内田朝雄
- 深山しのぶ
- 水代玉藻
- 尾上市太郎:早崎文司
- 守山音弥:和気成一
- 勝見竜之助:丘寵児
- 長谷川みのる
- 真百一平
- 森金太
- 渋谷辰夫
- 双葉京子
- 花村六郎:古川保夫
- 柴田房夫
- 藤井重俊
- 宇野美子
- 長谷川拡子
- 山本稔
- 牧野児朗
- 坂下道夫
- 松原貞夫
- 女優花枝:森明子
- 梅田コマミュージカル
スタッフ[編集]
- 製作:杉原貞雄、山本紫朗
- 原作:菊田一夫
- 脚本:長瀬喜伴、新井一
- 音楽:松井八郎
- 和楽:望月太明蔵
- 撮影:鈴木斌
- 美術:北辰雄
- 録音:中川浩一
- 照明:西川鶴三
- 編集:庵原周一
- チーフ助監督:高野昭二
- 製作担当者:沖原俊哉
- 監督助手:松森健
- 舞台孝証[要検証]:伊藤春朗
- 振付:松原貞夫
- スチール:中山章
- 現像:東洋現像所
- 監督:青柳信雄
- 映像制作:宝塚映像
- 配給:東宝
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テレビ番組[編集]
概要[編集]
1965年10月1日から同年12月31日までNETテレビ(現・テレビ朝日)で放送。放送時間は毎週金曜 20時00分 - 21時00分(日本標準時)。
榎本健一が座長を務める貧乏な旅回り一座「雲の上団五郎一座」による劇中劇を柱に、旅先でのハプニングを織り交ぜた喜劇として有名だが[要出典]、1962年・1963年に青柳信雄により映画化された後、その勢いに乗る形でスタートした番組である[要出典]。第1回放送は渋谷公会堂での録画中継、それ以降は日比谷芸術座等の劇場での録画というように、当時のテレビ局事情からしてスタジオの数が少なく劇場をスタジオ代わりにしていたこともあり[独自研究?]、客席に人を入れない非公開放送の形を採っていた。
往年のエノケンギャグの集大成とも言える番組であるが[独自研究?]、榎本は右足切断による車椅子生活を余儀された[要説明]ことにより、舞台でも車椅子もしくは座ったままでの演技が目立つようになった。かつてのはちゃめちゃぶりが発揮されず、番組は3か月で終了した。事実、番組後期はスローテンポなストーリーであった[独自研究?]。
出演者[編集]
エピソード[編集]
番組スタート時の榎本は既に60代であったこともあり、視聴者の中には彼を知らない世代(特に若い世代)が半数[なぜ?]であったが、その世代を中心にエノケンギャグが再評価されるという現象が起きていたという[要出典]。
当時高校生だった志村けんはこの番組のファンだったようで、特にお気に入りは『切られ与三郎』とのこと[要出典]。
| NETテレビ 金曜 20:00 - 21:00 | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
スリラー
(1965年8月6日 - 1965年9月24日) |
雲の上団五郎一座
(1965年10月1日 - 1965年12月31日) |
われら九人の戦鬼
(1966年1月7日 - 1966年4月8日) |