雪山讃歌

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雪山讃歌(ゆきやまさんか)は、日本の唱歌。アメリカ合衆国の民謡『いとしのクレメンタインOh My Darling, Clementine)』のメロディ西堀榮三郎[注 1]らが独自の日本語の歌詞をつけたものである。歌詞は2059年まで著作権保護期間内である。

概要[編集]

1927年(昭和2年)1月に群馬県吾妻郡嬬恋村鹿沢温泉京都帝国大学山岳部の仲間たちと訪れた西堀が、吹雪で宿に足留めされた際、退屈を紛らわせるために「山岳部の歌を作ろう」と仲間に提案し、仲間うちで好きなままに言葉を当てはめて作詞をしたものだという[1]。歌は学生登山家や当地周辺の山岳観光関係者に広まり、歌い継がれるようになる。

のちに本作の代表的な歌唱者となるダークダックスのメンバー・喜早哲は、グループ結成前の1950年(昭和25年)頃、慶應ワグネルのメンバーでスキーをしに長野県志賀高原に訪れた際に、バスの車掌がこの歌を口ずさんでいるのを聴いたことで、初めて存在を知った[2]

1951年(昭和26年)、朋文堂の雑誌『山』7月号の特集記事[3]で歌詞とメロディが初めて紹介された。この際、作詞者不詳とされたが、桑原武夫[注 2]が西堀榮三郎を作詞者として著作権登録の手続きを行った。この著作権印税によって、京都大学山岳部の財政が潤ったという。

1971年(昭和46年)[1]、鹿沢温泉に歌碑「雪山讃歌の碑」が建立された。揮毫は西脇によるもの。

歌手[編集]

ダークダックス版[編集]

雪山讃歌
ダークダックスシングル
初出アルバム『ピクニック・ソング』
B面 オー・ブレネリー(テイチク盤)
さらば恋人よ(キング盤)
リリース
録音 1958年7月
テイチクレコード(初レコーディング)[4]
ジャンル 合唱曲
レーベル テイチクレコード(NS-116)
キングレコード(EB-189 / EB-7009)
作詞・作曲 西堀栄三郎アメリカ民謡
ダークダックス シングル 年表
カチューシャ
(1959年)
雪山讃歌
(1959年)
アップ・アップ・アップリケ
(1959年)
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「雪山讃歌」の代表的な歌い手とされているダークダックス(1956年8月)

1958年7月ダークダックステイチクレコードでレコーディングし[4]、同年9月に6曲入りEP『ピクニック・ソング』(テイチク NEP-1052)の1曲として発売し、翌1959年6月にシングルカットされた。同年の第10回NHK紅白歌合戦で歌唱した。ダークダックス盤は1959年のテイチクの流行歌レコード売上で年間10位を記録した[5]

ダークダックスは後にキングレコードからもシングルとして発売しており、キング盤の1968年時点での累計売上は30万枚[6]

みんなのうた[編集]

みんなのうた
雪山讃歌
歌手 東京少年少女合唱団
作詞者 西堀栄三郎
作曲者 アメリカ民謡
編曲者 荒谷俊治
映像 実写
初放送月 1961年12月-1962年1月
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NHKの『みんなのうた』では、放送開始間もない1961年12月から1962年1月にかけて放送された。荒谷俊治編曲し、東京少年少女合唱団が歌った。なお作曲名義は「アメリカ民謡」とされた[7]

その他のバージョン[編集]

公共施設での使用[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ のちに、第1次南極観測越冬隊隊長となる。
  2. ^ のちの京都大学人文科学研究所教授。

出典[編集]

  1. ^ a b ようこそ鹿沢へ 鹿沢インフォメーションセンター
  2. ^ 喜早哲『日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀』121頁。
  3. ^ 山 (朋文堂): 1951-07|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
  4. ^ a b 喜早哲『日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀』、新潮社、2007年、122頁。ISBN 9784103048510
  5. ^ 「流行歌ことしの当たり屋 レコード各社のベスト・テンから」『毎日新聞』1959年12月26日付東京夕刊、3面。
  6. ^ 堀内敬三『音楽明治百年史』音楽之友社、1968年、347頁。NDLJP:2518791/190
  7. ^ 「NHKみんなのうた 第7集」17頁。
  8. ^ 雪山讃歌の碑 嬬恋村役場観光商工課「妻との時間をつくる旅」

外部リンク[編集]