雪山讃歌

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雪山讃歌
ダークダックスシングル
初出アルバム『ピクニック・ソング』
B面 オー・ブレネリー(テイチク盤)
さらば恋人よ(キング盤)
リリース
録音 1958年7月
テイチクレコード(初レコーディング)[1]
ジャンル 合唱曲
レーベル テイチクレコード(NS-116)
キングレコード(EB-189 / EB-7009)
作詞・作曲 西堀栄三郎アメリカ民謡
ダークダックス シングル 年表
カチューシャ
(1959年)
雪山讃歌
(1959年)
アップ・アップ・アップリケ
(1959年)
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雪山讃歌(ゆきやまさんか)は、西堀榮三郎作詞の歌である。

概要[編集]

1927年昭和2年)1月、京都帝國大学山岳部の仲間たちと群馬県吾妻郡嬬恋村鹿沢温泉に来ていた西堀榮三郎(のち第一次南極観測越冬隊隊長)が、冬場の雪で足留めを食らった際に、退屈を紛らわせるために仲間たちと「山岳部の歌を作ろう」を話し合い、詩を書いた。それがこの曲である。

山岳部の仲間内で気に入っていたという『いとしのクレメンタインOh My Darling, Clementine)』のメロディーに言葉を当てはめ、好きなままに詩を作ったということを、西堀自身が後に著書で明かしている。

この曲が世に出た時は、作詞者不詳とされたが、桑原武夫京都大学人文科学研究所教授)が西堀榮三郎を作詞者として著作権登録の手続きを行った。この著作権印税に拠って京都大学山岳部の財政が潤ったという逸話もある。

後に本作の代表的なアーティストとなるダークダックスのメンバーは、グループ結成前の1950年(昭和25年)頃、慶應ワグネルのメンバーで志賀高原スキーに訪れた際、バスの車掌が口ずさんでいるのを聴き、初めてこの曲を知った[2]

後に、鹿沢温泉に『雪山讃歌』の歌碑が建立された。 また、この歌の発祥の地である嬬恋村では、正午を告げる防災無線のチャイムに使用している。

2018年現在、歌詞は著作権保護期間内である。

歌唱歌手[編集]

「雪山讃歌」の代表的な歌い手とされているダークダックス(1956年8月)

1958年7月ダークダックステイチクレコードでレコーディングし[1]、同年9月に5曲入りEP『ピクニック・ソング』(テイチク NEP-1052)の1曲として発売し、翌1959年6月にシングルカットされた。同年の第10回NHK紅白歌合戦で歌唱した。ダークダックス盤は1959年のテイチクの流行歌レコード売上で年間10位を記録した[3]1959年にはフォー・コインズコロムビアレコードからシングルとして発売した。その他1950年代より、デューク・エイセスボニージャックスなどが歌唱し、アルバムに収録していた。

アメリカ合衆国フォークグループ、ニュー・クリスティ・ミンストレルズ英語版は、1965年に日本で発売したシングル「雪山讃歌/山男の歌」(CBS 45S-190-C)で、この曲を日本語でカバーしている。英語題は「YUKIYAMA SANKA (My Darlin Clementine)」。

みんなのうた[編集]

みんなのうた
雪山讃歌
歌手 東京少年少女合唱団
作詞者 西堀栄三郎
作曲者 アメリカ民謡
編曲者 荒谷俊治
映像 実写
初放送月 1961年12月-1962年1月
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NHKの『みんなのうた』では、放送開始間もない1961年12月から1962年1月に放送。荒谷俊治が編曲し、東京少年少女合唱団が歌った。なお作曲名義は「アメリカ民謡」とされている。(参考:「NHKみんなのうた 第7集」17頁)

交通機関での使用[編集]

雪山を連想する曲であるため、特急列車の車内チャイムでも使用されていたことがある。使用されていたのは以下の通り。

路線バスの観光案内で放送されている

脚注[編集]

  1. ^ a b 喜早哲『日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀』、新潮社、2007年、122頁。ISBN 9784103048510
  2. ^ 喜早哲『日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀』121頁。
  3. ^ 「流行歌ことしの当たり屋 レコード各社のベスト・テンから」『毎日新聞』1959年12月26日付東京夕刊、3面。

外部リンク[編集]