雑賀崎城
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雑賀崎城 (和歌山県) | |
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城郭構造 | 山城 |
築城主 | 雑賀孫市 |
築城年 | 天正年間 |
主な改修者 | 雑賀氏 |
主な城主 | 雑賀氏 |
廃城年 | 1585年 |
遺構 | なし |
指定文化財 | なし |
雑賀崎城(さいかざきじょう)は、紀伊国(現・和歌山県和歌山市雑賀崎)にあった日本の城。
概要[編集]
- 天正年間に石山本願寺を追われた教如を匿うため、雑賀衆棟梁雑賀孫市によって築城された。教如は崖下にあった上人窟(現存、和歌山県指定天然記念物)に隠れていたという。
- 安政年間に紀州藩が海上の防備のために築いた元番所台場もこの付近にあり、入り組んだ地形が天然の要害の役割を果たしたようである。
- 1585年(天正13年)の豊臣秀吉の紀州征伐の後に廃城となった。
- 城は山城で、城址に遺構はなく、現在は観光地施設として雑賀崎灯台が建てられている。灯台の奥には上人窟に繋がる遊歩道があるが、現在、台風により崩落しており、危険が伴うとして途中までしか行けない。