陳仁宗

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仁宗 陳
陳朝
第3代皇帝
王朝 陳朝
在位期間 1278年 - 1293年
姓・諱 (陳日
諡号 法天崇道応世化民隆慈顕恵聖文神武元明睿孝皇帝
廟号 仁宗
別号 憲堯光聖太上皇帝
生年 元豊8年11月11日
1257年12月18日
没年 興隆16年閏11月3日
1308年12月16日
聖宗
元聖皇后
后妃 欽慈皇后
陵墓 徳陵
元号 紹宝 : 1279年 - 1285年
重興 : 1285年 - 1293年

陳仁宗(ちんじんそう、ベトナム語: Trần Nhân Tông)は、陳朝大越の第3代皇帝

生涯[編集]

第2代皇帝・聖宗の長男。宝符6年(1278年)に父帝から譲位されて即位した。即位してから4年後の紹宝4年(1282年)、からの服属要求を退けたため、その大軍による侵攻を受けることになるが、父と共に従伯の名将・陳国峻に軍権を預けて迎撃させた。一時は元軍の圧倒的物量の前に危機的状況に陥ったこともあり、怖気づいた仁宗は元への降伏も考えたが、陳国峻の強硬な反対を受けて翻意し、徹底抗戦に及んだ。その結果、ゲリラ戦に悩まされた元軍は紹宝10年(1288年)に撤退を開始し、その軍を追撃して壊滅させている(白藤江の戦い)。この功績により、紹宝11年(1289年)には陳国峻に興道王号を与えてその後も重用した。

重興9年(1293年)、長男のに譲位して太上皇となる。程なくして出家して仏門に入り、余生を送った。ただし、出家した後も陳国峻と共に息子の治世に協力していたともいわれる。

仏法に関する著書に『僧袈砕事』など多数ある。興隆16年(1308年)、52歳で死去。

参考文献[編集]

  • 小倉貞男『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』中公新書、1997年7月
  • 西川寛生訳著『ベトナム人名人物事典』暁印書館、2000年2月
先代:
聖宗
陳朝の第3代皇帝
1278年 - 1293年
次代:
英宗