陰 (姓)

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(いん)は、漢姓の一つ。

中国の姓[編集]

各種表記
繁体字
簡体字
拼音 Yīn
注音符号 ㄧㄣ
ラテン字 Yin
広東語発音: Jam1
上海語発音: In1
台湾語白話字 Im
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著名な人物[編集]

朝鮮の姓[編集]

ウン
各種表記
ハングル
漢字
発音: ウン
日本語読み: いん
英語表記: Eum, Ŭm, Um, Em, Yeum
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(いん、ウン、: )は、朝鮮人の姓の一つである。2000年の韓国の国勢調査による人口は5,936人。

出自[編集]

陰氏は元来、中国始平(現在の陝西省咸陽市興平市)地方から系出された性である。

司馬遷の史記に「陰康」皇帝として中国性に陰氏が登場している。

陰兢は文王昌を救い、後の西周建国に重要な役割を担ったとされる。

後漢書には劉氏が後漢を建国する際に重要な役割を担った事から陰氏家門の皇后を多く輩出したと記録されている。

三国志 袁紹編には豫州刺史として陰夔が登場する。

朝鮮半島での「陰」の姓の起こり[編集]

朝鮮の姓としては254年から三国史記高麗史などに登場する。

陰友は高句麗12代王中川王の時代、国相(254年〜271年)になったと記録されている。

その子、陰尚婁も西川王の代に国相(271年〜294年)を務めた。

また、美川王の幼少期話に陰牟が登場し、高麗時代には、陰元輔が高麗功臣録に記録されている。

竹山陰氏の始祖[編集]

竹山陰氏の始祖は、陰俊(ウン・ジュン)である。中国元王朝時代恭愍王の妃となった衛王の娘、魯国大長公主宝塔失里と一緒に禮部侍郞として高麗に入り、後に竹州君(当時の地名は竹州、後の地名改正により竹山となる)に封ぜられた。子孫がその地に根付いた事で本貫を竹山とした陰氏が始まった。

著名な人物[編集]

始祖の陰俊の息子、陰澈朝鮮王朝の開国原従功臣として領議政追贈され、文節という諡号を賜った。

また、陰澈の息子である陰崑は少卿を、陰崙は判事を務める事で家門を繁栄させた。

氏名 官職名
陰起南 軍資監正
陰希哲 兵曹判書追贈
陰道光 副護軍
陰聖惜 工曹参議
陰仁星 参奉

などがいる。

科挙及第者[編集]

朝鮮王朝時代に科挙及第者4名を輩出している。

陰允輔:[進士試] 燕山君1年(1495年) 乙卯 增廣試 3位

陰慶昌:[生員試] 中宗29年(1534年) 甲午 式年試 3位

陰泰起:[武科] 粛宗25年(1699年) 己卯 式年試 甲科1位 壯元及第

陰春観:[武科] 英祖26年(1750年) 庚午 式年試 丙科

氏族[編集]

朝鮮における陰氏の本貫は竹山、槐山、慶州、驪州、忠州、陰城など総24本貫があると

記録されているが、その全てが竹山氏族が移住した事による世居地名(分派)にすぎないとされている。

関連項目[編集]