阿部正身

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阿部 正身
時代 江戸時代後期(幕末
生誕 文政元年11月23日1818年12月20日
死没 慶応4年7月11日1868年8月28日
改名 采女助(幼名)、正身、菊山(法号)
別名 正守(別名)
戒名 大成院殿光誉正身菊山大居士
墓所 千葉県富津市花ヶ谷の勝隆寺
官位 従五位下、駿河
幕府 江戸幕府
氏族 亀井氏阿部氏
父母 父:亀井茲尚、養父:阿部正暠
兄弟 亀井茲方正身
正室:なし
正恒

阿部 正身(あべ まさちか)は、上総佐貫藩の第7代藩主。備後福山藩阿部家分家8代。

文政元年(1818年)11月23日、石見津和野藩亀井茲尚の四男として江戸で生まれる。天保6年(1835年)6月に佐貫藩の第6代藩主阿部正暠の養子となり、天保7年(1836年)3月23日に正暠が隠居したため家督を継ぎ、12月に従五位下・駿河守に叙位・任官する。

後に日光祭礼奉行や田安門番などを歴任した。嘉永7年(1854年)閏7月25日、家督を長男の正恒に譲って隠居する。元治元年(1864年)7月に菊山と号した。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争で正恒が旧幕府軍に協力したため、新政府より謹慎を命じられた。7月11日に上総天羽郡花ヶ谷村の円龍寺で死去した。享年51。