阿曇比羅夫

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阿曇比羅夫
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 天智天皇2年(663年)?
別名 比良夫、阿曇山背
官位 大錦中
主君 舒明天皇皇極天皇孝徳天皇斉明天皇天智天皇
氏族 阿曇
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阿曇 比羅夫(あずみ の ひらふ)は、飛鳥時代の人物。名は比良夫とも書く。氏は阿曇氏(安曇氏)だが阿曇山背(安曇山背)と表記されるもの[1]もある。冠位大錦中

経歴[編集]

舒明天皇在任中に百済に使者として派遣されていたが、舒明天皇13年(641年)天皇の崩御に際し、翌642年百済の弔使を伴って帰国し、その接待役を務めている。またこのとき百済の王子翹岐[2]を自分の家に迎えている。斉明天皇7年(661年高句麗の攻撃を受けると、百済を救援するための軍の将軍となり、百済に渡っている。翌662年日本へ渡来した百済の王子豊璋に王位を継がせようと水軍170隻を率いて王子と共に百済に渡った。大錦中に任じられた。

天智天皇2年(663年)8月27-28日の白村江の戦いで戦死したとされる。長野県安曇野市穂高神社に安曇連比羅夫命[3]として祀られる。同神社の御船祭りは毎年9月27日に行われるが、これは阿曇比羅夫の命日であるとされる。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本書紀』皇極紀
  2. ^ 読みは「ぎょうき」
  3. ^ 読みは「あづみのむらじひらふのみこと」