阿久根治子
あくね はるこ 阿久根 治子 | |
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生誕 |
1933年??月??日![]() |
死没 | 2013年??月??日 |
国籍 |
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阿久根 治子(あくね はるこ、1933年〈昭和8年〉 - 2013年〈平成25年〉)は、児童文学作家、童謡詩人[1]。
人物
[編集]1933年(昭和8年)、名古屋市生まれ[2]。 愛知県立女子短期大学(現・愛知県立大学)国文科にて、当時の学長、高木市之助に師事、上代日本文学を学ぶ[3]。 1954年(昭和29年)に卒業後、約9年中部日本放送( CBC)に勤務[4]。担当は音楽係[5]。勤務中より童話等を発表[1]。1955年、アンデルセン生誕150年祭実行委員会に参加。
1961年(昭和36年)、「「モクモク町」のある1年」を発表、講談社50周年記念児童文学賞入選候補作となる[4]。
1963年(昭和38年)、中部日本放送を退職、中日新聞に「ぼくとアリンコピチくん」など数十編を連載[6]。
1964年(昭和39年)、心臓発作で倒れ、持病を抱えながら創作を続ける[3]。
1969年(昭和44年)、「やまとたける」を発表、第16回産経児童出版文化賞を受賞[7]。
1975年(昭和50年)、前年に赤座憲久らと毎日新聞に連載した「東海の民話」が出版され、「八百比丘尼」「怪力妻」「桜婆」「高蔵坊狐」「ぼたもちがギャアロになった」「老狐・小牧山吉五郎」「大池には主がおらっせる」「ヒノキの芽」「庄七さと狐」「亡霊蛍・おこんの墓」「猫ヶ原の鬼婆」「漁師の願かけ」が収録される(挿絵・水谷勇夫)[9]。
1989年(平成元年)、「こどもの図書館」1989年6月号の「再販してほしい本4」に「やまとたける」が取り上げられる[10]。
2003年(平成15年)、「つる姫」を日本舞踊家、花柳龍蘭が舞台化[新聞 1]。
2004年(平成16年)、絶版となっていた「つる姫」がアンケートで高評価を得、福音館書店から復刊される[新聞 2]。
2013年(平成25年)、逝去[3]。遺族により、旧蔵資料が名古屋市に寄付され「文化のみち二葉館」に収蔵される[3]。
2015年(平成27年)10月7日~11月11日、同館2階展示室にて企画展「阿久根治子-古事記に魅せられた女流作家」が開催された[11]。
脚注
[編集]- ^ a b ティビーエスブリタニカ 1993, p. 48.
- ^ 中部児童文学会 1971, p. 221.
- ^ a b c d 文化のみち二葉館 2015, p. 3.
- ^ a b 中西利夫 1998, p. 27.
- ^ 音楽之友社、音楽新聞社 1956, p. 361.
- ^ 愛知女性史研究会 2020, p. 2.
- ^ 日外アソシエーツ株式会社 2017, p. 8.
- ^ 中西敏夫 1998, p. 27.
- ^ 毎日新聞学芸部 1975.
- ^ 児童図書館研究会 1989, p. 14.
- ^ 文化のみち二葉館, 2015 & p.
新聞
[編集]参考文献
[編集]- 音楽之友社、音楽新聞社 編『音楽年鑑昭和31年版』音楽之友社、1956年1月1日。
- 松原英治『名古屋新劇史』門書店、1960年1月10日。全国書誌番号:60003925。
- 中部児童文学会 編『中部児童文学選集3「モクモク町」のある1年」』洛英社、1956年1月10日。
- 毎日新聞学芸部 編『東海の民話』六法出版社、1975年6月5日。
- こどもの図書館 (児童図書館研究会) 36 (6). (1975-06-05).
- 『日本名作絵本 手引書』ティビーエス・ブリタニカ、1993年1月1日。
- 中西敏夫 編『児童文学者人名事典 日本人編・上巻(あ~さ行)』出版文化研究会、1998年10月30日。ISBN 4-921067-01-5。
- 日外アソシエーツ株式会社 編『児童の賞事典』紀伊国屋書店販売、2009年7月27日。ISBN 978-4-8169-2197-1。
- 日外アソシエーツ株式会社 編『文学賞受賞作品総覧 児童文学・絵本篇』紀伊国屋書店販売、2015年7月15日。ISBN 978-4-8169-2698-3。
- 『阿久根治子ー古事記に魅せられた女流作家(企画展チラシ)』文化の道二葉館、2015年。
- 『ふたば便り』第21巻、文化の道二葉館、2015年7月15日。
- 愛知県女性史研究会 編『愛知近現代女性史人名事典Ⅱ』愛知県女性史研究会、2020年12月15日。ISBN 978-4-903036-38-0。