阪神5261形電車

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阪神5261形電車
西灘駅にて
西灘駅にて
基本情報
運用者 阪神電気鉄道
製造所 武庫川車両工業
製造年 1967年 - 1968年、1970年
製造数 14両
引退 2000年
主要諸元
編成 4両編成(登場時2両編成)
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
最高運転速度 106 km/h (各停運行時は91 km/h)
設計最高速度 110 km/h
起動加速度 4.5 km/h/s
減速度(常用) 5.0 km/h/s
車両定員 先頭車131人、中間車140人
自重 35.5 t (5261 - 5270)
34.5 t (5271 - 5274)
全長 18,880 mm
全幅 2,800 mm
全高 4,067 / 4,098 mm (5261 - 5270)
4,128 / 4,150 mm (5271 - 5274)
台車 住友金属工業製FS-343
主電動機 東洋電機製造製TDK-814B
主電動機出力 75 kW
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 74:13
制御方式 抵抗制御
制御装置 東芝製 MM-27A (5261 - 5268)
東芝製 ME-2A (5269,5270)
東芝製 ME-4A (5271 - 5274)
東芝製 PE30-2A(1977年以降全車)
制動装置 HSC-D 電磁直通電空併用抑速
保安装置 阪神・山陽・阪急形ATS
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阪神5261形電車(はんしん5261がたでんしゃ)とは、かつて阪神電気鉄道が所有していた各駅停車用の通勤形電車である。本形式は神戸高速鉄道開業に備えた輸送力増強用として1967年から1968年にかけて製造された10両と、1970年に普通系車両初の冷房車として製造された4両の計14両で構成されていた。

阪神初の1,500V専用車[編集]

1967年11月12日、阪神の新設軌道各線[1]架線電圧はそれまでの直流600Vから直流1,500Vに昇圧された。これは翌春の神戸高速鉄道および山陽電気鉄道への相互乗り入れに備えたものであるとともに、輸送力の増強にも資するものであった。

このころになると普通運用も朝ラッシュ時には4両編成による運行を行うことが検討されていた。昇圧後も増結運用中心の5151形以外にも50015101・5201の各形式は増結編成、基本編成に使えるよう単車走行が可能となっていたが、これらの形式の一部と昇圧後は2両固定編成となった5231形で基本編成をまかなうには数が不足していた。このため、基本編成用の2両編成を投入することとなり、昇圧後初の新車として本形式のうち5261 - 5270の10両が製造されることとなった。本項ではこの10両を仮に1次車と呼ぶこととする。

また、本形式と、1968年から1969年にかけて本形式をベースとして単車走行可能とした5311形の2形式は、製造時期や車体形状などからジェットカー第2世代と呼ばれることもある。

概要[編集]

1次車は1967年11月に登場した5261 - 5262, 5263 - 5264の2両×2本を皮切りに、神戸高速鉄道開業後の1968年5月に登場した5269 - 5270まで、2両×5本が武庫川車両工業において製造された。本形式は阪神初の1,500V専用車であるとともに、新車としては初の1C8M制御車でもあった[2]ことから、奇数番号車と偶数番号車で2両編成を組成し、奇数車が大阪側の、偶数車が神戸側の先頭車となった。車体は、7801・7901形1次車を基本とした裾部にRのない車体に、側面窓配置d1D3D3D2(d:乗務員扉、D:客用扉)で客用扉は普通系車両共通の幅1,400mmの両開きドアを装備した。前面は7801形初期車と同様、フラットな切妻に中央に貫通幌付の貫通扉を備えた3枚窓で、端部には雨樋が露出していた。パンタグラフは偶数車の連結面に1基搭載され、屋根上には従来の箱形通風器に変えてグローブ形通風器を搭載していた。また、屋根のRが300mmと小さく、幕板の幅も広いことから、他形式と併結されると高さに差異が出るため、凹凸がよく目立った。

台車および電装品であるが、台車は5231形の住友金属工業FS-343を継承して装着し、駆動装置も中空軸平行カルダンが採用された。歯車比も74:13で変更はなく、主電動機は5231形と同じ出力75kW東洋電機製造製のTDK-814Bを各車4基搭載するが、制御器は1C8M対応の東芝製MM-27Aを偶数車に搭載した。なお、当グループ最後の5269 - 5270の編成には、東芝と共同開発した、電子部品を多用することによって回路の完全無接点化を図った東芝ME2-Aを5270に搭載した。この制御器は他系列との併結に備えて、他車のMM-27Aと制御回路の動作が共通になるよう設計されていた。起動加速度および減速度も、試作車以来の起動加速度4.5km/h/s、減速度5.0km/h/sを維持している。

登場と普通4両編成化[編集]

本形式は先に登場していた5231形や5201形5201 - 5202編成(ジェットシルバー)などとともに2両の基本編成の主力車として運用された。当時の運用は早朝2両で出庫した基本編成に尼崎ないしは御影のいずれかの駅で2両増結するか、あるいは車庫内で4両編成を組成して出庫して、朝ラッシュ時は4両編成で運行、ラッシュ終了後に尼崎、御影両駅で1両解放(御影開放分は御影 - 石屋川間を回送で運行。これは石屋川駅の線路配線上同駅での開放が不能であることによるもの)して3両編成で夕方ラッシュ時終了まで運行、その後再び尼崎、御影両駅で1両解放して基本編成のみの2両で夜間運行するという、きめの細かい運用を行っていた。増結車には単車走行可能な5001形(初代)や5101・5201形、5151形が充当されたほか、 1969年2月までに5311形も加わり、基本編成2両×18本、増結車36両[3]の72両で、阪神本線の普通運用と2両運行の西大阪線の線内運用に従事していた。

普通系車両初の冷房車[編集]

5261形5271 - 5274 西灘駅にて

1960年代後半の高度経済成長期になると、国民の生活水準の向上とともに、従来は「ぜいたく品」であった冷房も社会に普及してくるようになった。鉄道車両においても、日本国有鉄道(国鉄)の特急用車両はもちろんのこと、この時期新造されていた急行用車両も冷房付で製造されていたほか、非冷房車の冷房改造も推進されていた。また、通勤用車両の冷房化も1968年に京王初代5000系が初の通勤冷房車として登場したほか、1969年には京阪2400系関西地区で初の通勤冷房車として登場した。阪神においても並走する阪急神戸線東海道本線とは熾烈な競争を繰り広げていることから、冷房サービスの提供は競争上有効であると判断したことから、「六甲の涼しさを車内に」をキャッチフレーズに、1970年5月に登場した急行系車両の7001形7801形3次車 (7840 - ) とともに、普通系車両においても冷房車を投入することとなり、本形式の増備車として5271 - 5272 + 5273 - 5274の2連×2本が同年6月から7月にかけて武庫川車両工業において製造された。このグループは5261形の2次車であるとともに、通称「5271形」と呼ばれることもあった。

変更点は以下のとおり。

  • 冷房装置は分散式MAU-13Hを奇数車7個、偶数車6個搭載。偶数車の搭載数が少ないのはパンタグラフ搭載のためであり、そのパンタグラフも冷房機器搭載のために下枠交差式のものに変更された。
  • 車体はそれまでの7801形初期車ベースの車体から、7001形および7801形3次車 (7840 - ) ベースの車体に変更、冷房風道内蔵のために屋根が深くなり、車体裾のRが復活したほか、前面も切妻から三面折妻となった。
  • 台車および電装品は大きな変更はないが、制御器は5269 - 5270が搭載していたME2-Aの改良版のME4-Aを搭載した。

この4両は先の1次車とは異なり、冷房車のみで編成され、早朝・深夜は2両、朝ラッシュ時から夕ラッシュ時までは4両編成で運行されていた。その後、阪神の車両冷房化は急行系車両の冷房改造を優先して実施したため、普通系車両(ジェットカー)としては 1977年に5261形1次車の冷房改造が実施され、同年5001形(2代)が登場するまでの7年間はこの4両が唯一の冷房車だった[4]

1次車の冷房改造[編集]

阪神の車両冷房化は、前述のように急行系7001形と7801形3次車 (7840 - )、普通系の5261形2次車(通称5271形)で始まった。1971年の7861形の冷房改造を皮切りに急行系車両の冷房改造を推進、1975年の3301形と7801形2次車の冷房改造を最後に全急行系車両の冷房化を達成、1976年からは普通系車両の冷房化に取り組むこととなった。5261形の1次車は車齢10年以内で今後も長期にわたって運用されることから冷房改造の第一陣に選ばれ、1977年1月から8月にかけて全車冷房改造を実施された。改造内容は冷房装置を2次車と同様に、MAU-13Hを奇数車7個、偶数車6個搭載した。また、偶数車に搭載しているパンタグラフを冷房機器搭載のために下枠交差式のものに変更した。同時に、制御器を同年登場した5001形(2代)と同じ抑速制動付の東芝PE-30-2Aに換装した。2次車も同年秋にPE-30-2Aに換装されたことで、1系列内で3種類に分かれていた制御器を1種類に統一した。また、1978年までに列車無線誘導無線 (IR) からVHFに変更している。

1次車の冷房改造によって、普通系車両の冷房化率は1976年までの4%から、1977年には5001形(2代)4両の新造と合わせて、一挙に前年の約5倍の19%に上昇した。運用も冷房車運用に代わったことで、早朝・深夜は2両、朝ラッシュ時から夕ラッシュ時までは4両編成で運行されるようになった。その後も冷房車の増備は続き、1980年から1981年にかけて5151形と5311形の冷房改造が実施され、1981年から1983年にかけては新製の5131・5331形も加わって冷房化率100%を達成したが、本形式はこれら各形式と分割併合を繰り返して普通運用に充当されていた。

普通運用終日4両化前後[編集]

1987年12月ダイヤ改正時に普通運用の終日4両化を実施、これによってジェットカー各形式は基本的に同一形式で4両編成を組むことになったが、5261形は14両であったことから、1次車、2次車で4両編成×3本を組成すると、1次車が2両余剰となる。そこで余った5269 - 5270は、2両しかない5151形と4両編成を組むこととなった。1988年以降5001形(2代)、5131・5331形に実施された4両固定化改造は1次車、2次車とも実施されることはなく、原型に近い状態で運行されていた。

この時期動きの少ない本形式であったが、1990年には2次車が期間限定でジャズ・クラブの「大阪ブルーノート」の広告塗装車となり、青一色に白いロゴマークが貼付された。この特別塗装も翌1991年で終了し、元の塗色に戻された。その後1次車は併結相手の5151形ともども当時設計が始まった普通系新車への置き換え対象となり、新車投入時には廃車されることが予定されていた。

阪神・淡路大震災から終焉まで[編集]

その矢先の1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で1次車は全車被災した。

被災箇所とその後の経過は以下のとおり。

  • 5261 - 5262 + 5263 - 5264は青木駅西側で脱線。
  • 5265 - 5266 + 5267 - 5268は新在家駅 - 大石駅間を走行中に高架橋の崩壊で脱線。
  • 5269 - 5270 ( + 5151 - 5152) は三宮駅3番線留置中に脱線。
    • 5261 - 5264の編成は、1月26日の甲子園駅 - 青木駅間開業前に脱線した車両を再度線路上に戻し、尼崎車庫へ収容、修理ののち3月1日に復旧した。
    • 5265 - 5268の編成は、高架橋崩落時に台車、床下機器、台枠の損傷がひどく、被災地点から尼崎港仮置き場に搬出されたのち、1月25日付で4両とも廃車となった。阪神の震災廃車第1号であった。
    • 5269 - 5152の編成は、三宮駅 - 西灘駅間開通前後に地上区間へ搬出後、大阪市西淀川区の臨時の被災車留置場へ搬送、ペアを組んでいた5151形は3月31日付で廃車となったが、5269 - 5270は修理ののち6月5日に復旧した。

2次車は地震の発生当時西宮駅付近を走行していたが、被災を免れた。また、復旧後の5269 - 5270は、5331形5335編成被災に伴う編成替えによって併結相手を失った5131形5143 - 5144とペアを組んだ。こうして、本形式を中心に普通系車両から8両の廃車が出たことから、当時計画中で図面まで完成していた5500系の製造を前倒しで実施、被災廃車の不足分を埋めた。しかし、残った1次車は5500系への早期置き換えが困難になったことから、当分の間廃車を延期して使用されることとなった。

その後1997年から1998年にかけて5500系は5505F, 5507F, 5509Fの4連×3本が増備されるが、これは1998年2月のダイヤ改正時に従来の12分ヘッドから10分ヘッドに変更されたことによる普通系車両の所要本数増と急行系車両の運用減に伴う3000系置き換えに伴うもので、この時点では5261形の置き換えは発生しなかった。しかし1998年4月から1999年1月にかけて5500系5511F, 5513F, 5515Fが増備されたことにより、1次車6両は5311形5311 - 5312, 7801形2次車7835 - 7935 + 7936 - 7836とともに置き換え対象となり、1999年3月20日にジェットカー初の6両編成[5]を組んでさよなら運転を実施、全車ともさよなら運転翌日の3月21日付で廃車された。残った2次車も2000年2月に5500系5517Fが登場したことに伴い、同年3月27日付で置き換え廃車となり、ここに本形式は形式消滅した。

脚注[編集]

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  1. ^ 阪神本線・西大阪線・武庫川線等の阪神電鉄社内における呼称。
  2. ^ 昇圧準備工事車の中には、昇圧後1C8M制御となったものもあるが、600V時代は単車走行が可能であったためにここには含まない。
  3. ^ 基本編成には「ジェットシルバー」の編成も含む。
  4. ^ このため、夏季になるとこの4両の運行状況を確かめるために乗客が駅に電話を掛けて問い合わせたという話が残っている。
  5. ^ 編成は、大阪側から5261 - 5262 + 5263 - 5264 + 5269 - 5270であった。

参考文献[編集]

  • 鉄道ピクトリアル』各号 1975年2月臨時増刊号 No.303 1997年7月臨時増刊号 No.640 「特集:阪神電気鉄道」 電気車研究会
  • 鉄道ダイヤ情報』1995年3月号 No.131 特集:阪神電車の研究 弘済出版社
  • 『関西の鉄道』No.34 阪神間ライバル特集 1997年 関西鉄道研究会
  • 『サイドビュー阪神』 1996年 レイルロード
  • 『車両発達史シリーズ 7 阪神電気鉄道』 2002年 関西鉄道研究会