阪本清一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

阪本 清一郎(さかもと せいいちろう、1892年1月1日1987年2月19日)は、日本の社会運動家・政治家。全国水平社創設者の1人。

経歴[編集]

奈良県南葛城郡掖上村(現在の御所市)出身。地主の家の出であったが出身地そのものが被差別部落であった。

家業の製造業を継ぐために東京工科学校(現・日本工業大学)で化学を学ぶために上京する。東京では同郷の後輩西光万吉と行動を伴にし、西光が病に倒れたのを機に故郷に戻る。西光らと燕会を結成してセレベス島移住を計画するが挫折、その後運動を部落解放に転じさせ、1922年に全国水平社を結成する。その際、「水平社」の名称を考案したのが阪本であった。

その後、運動内においては中間的な立場に立ち、組織の仲裁役となった。この間、1927年労働農民党の中央委員に選ばれ、1929年に掖上村会議員に当選している。

その後、西光とともに大日本国家社会党に入り、国家主義に傾倒するとともに経済更生運動や協同組合運動に関わる。

戦後、部落解放同盟中央委員となるが、その後部落解放同盟と水平社出身者との対立が深刻化すると、1965年木村京太郎らとともに荊冠友の会を結成、1975年北原泰作らとともに国民融合をめざす部落問題全国会議を結成して解放同盟と対立する動きを見せた。

1970年代には、東大部落研の蛮行を聞いて「水平運動は、人間を尊敬することによって自ら解放せんとする者の集団運動であった。平然と人殺しをするような集団に、部落解放を語る資格はない」[1]と述べたとされる。

参考文献[編集]

  • 師岡佑行「阪本清一郎」(『日本史大事典 3』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13103-1
  • 川村善二郎「阪本清一郎」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9
  • 鈴木哲雄「阪本清一郎」(『日本歴史大事典 2』(小学館、2000年) ISBN 978-4-09-523002-3

脚注[編集]

  1. ^ 『資料集 怒りと友情のスクラム』154頁(部落問題研究所)