阪井重季

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阪井重季

阪井 重季(さかい しげすえ/しげき、1847年1月10日弘化3年11月24日) - 1922年大正11年)3月1日)は、明治から大正期の日本陸軍軍人政治家。最終階級は陸軍中将貴族院議員男爵。旧名・元助(二川元助、二川元助重遠)。家紋は四つ星

経歴[編集]

薩土討幕之密約紀念碑
阪井重季の活躍が刻まれている
京都市東山区(祇園)

土佐国土佐郡高知藩高知城下の高知中島町において、土佐藩士(馬廻役、300石[1]。)・二川周五郎の長男として生まれ、後に阪井に改姓した。生家の中島町は板垣退助片岡健吉の出身地であり、家が近所であった。

戊辰戦争に従軍し、1870年大坂兵営予備生徒[2]となる。翌年、御親兵として上京、陸軍大尉に任官し8番大隊副官となる。近衛6番大隊副官、広島鎮台地方司令官心得などを経て、1874年2月から翌月にかけて佐賀の乱に出征。歩兵第24連隊大隊長歩兵第12連隊大隊長などを歴任し、1877年3月から10月まで西南戦争に従軍した。

歩兵第13連隊長、歩兵第11連隊長、名古屋鎮台衛戍司令官歩兵第17連隊長などを経て、日清戦争末の台湾近衛歩兵第2連隊長として出征。1895年10月、陸軍少将に進級し、死去した山根信成少将の後任として近衛歩兵第2旅団長となる。歩兵第10旅団長、近衛歩兵第2旅団長などを歴任し、1902年6月、陸軍中将となり予備役に編入。日露戦争勃発により召集を受け、留守第1師団長の後、後備第1師団長として奉天会戦に参加、1906年3月、召集解除となった。同年3月16日、後備役に編入され[3]1909年4月1日に退役した[4]

1907年9月、男爵を叙爵し華族となり、牛込区議、富士生命社長を務めた。1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に当選し[5]、死去するまで在任した。墓所は青山霊園[6][7]

栄典[編集]

位階
勲章等

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 秦 2005, p. 73, 第1部 主要陸海軍人の履歴:陸軍:阪井重季
  2. ^ 大阪陸軍兵学寮予備生徒
  3. ^ 『官報』第6916号、明治39年7月19日。
  4. ^ 『官報』第7754号、明治42年5月4日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、20頁。
  6. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』72頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、30頁。
  8. ^ 『官報』第3388号「叙任及辞令」1894年10月11日。
  9. ^ 『官報』第4918号「叙任及辞令」1899年11月21日。
  10. ^ 『官報』第1252号「叙任及辞令」1916年10月2日。
  11. ^ 『官報』第3732号「叙任及辞令」1895年12月5日。
  12. ^ 『官報』第4027号「叙任及辞令」1896年11月30日。
  13. ^ 『官報』第6627号「叙任及辞令」1905年8月2日。
  14. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  15. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  16. ^ 『官報』第813号「宮廷録事 – 恩賜並追賜」1915年4月21日。
  17. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。

参考文献[編集]

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦 編著 『日本陸海軍総合事典』(第2)東京大学出版会、2005年。 
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
阪井(重季)家初代
1907年 - 1922年
次代
阪井戒爾