閻宝瑟
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閻 宝瑟(えん ほうしつ、1108年 - 1133年)は、北宋の徽宗の妃嬪。
生涯
[編集]婉容嬪の位を授けられた。
靖康の変後、金に連行され、金軍の多くの兵士に凌辱されて妊娠した。金に到着後は、妊婦だったことを考慮されたため、連行途中で出産した小王婕妤や他の4人の妊娠させられた妃嬪[1]と一緒に、昏徳公(徽宗)のもとに帰された。翌年(金の天会6年)2月27日(1128年4月21日)、男子を産んだが、夭逝したという[2]。
金の天会8年(1130年)4月27日、男子の趙柱を産んだ。天会11年(1133年)9月4日、閻宝瑟は25歳で死去した。次男の趙柱は、南宋と金の国交が回復した時(1162年)まで、金で暮らしていたことが伝わっている。
子女
[編集]- 男子(無名)
- 趙柱
伝記資料
[編集]- 『靖康稗史箋證』
- 『三朝北盟会編』