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門田就政

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門田 就政
時代 江戸時代前期
生誕 寛永5年(1628年
死没 寛文3年4月2日1663年5月9日
改名 門田虎法師(幼名[1]→門田就政[1]
別名 通称:太郎右衛門尉[1]
官位 主馬正[1]
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 大江姓毛利氏庶流門田氏
父母 父:門田元弥[1]、母:渡辺広の娘[1]
兄弟 就政二宮久辰[1]、女(市川就貞室)[1]
久重[1]桑原重経[1]
正室:内藤就勝の娘[1]
継室:有地元勝の娘[1]
なし
養子:二宮久辰(就政の弟)
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門田 就政(もんでん なりまさ)は、江戸時代前期の武士毛利氏の家臣で長州藩士。家格は大組。曽祖父は毛利輝元の側近を務めた二宮就辰、祖父は長州藩の大組組頭を務めた門田元経、父は祖父と同じく大組組頭を務めた門田元弥

生涯

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寛永5年(1628年)、毛利氏家臣で長州藩大組組頭を務めた門田元弥の嫡男として生まれる。

寛永14年(1637年1月11日毛利秀就から「主馬正」の官途名と「就」の偏諱を与えられた。

承応4年(1655年11月3日に父・元弥が死去し、その後を継ぐ。

寛文3年(1663年4月2日に死去。享年36。就政には実子がいなかったため、歳の離れた弟である久辰が養子として後を継いだ。

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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  • 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。ASIN B000J785PQ NCID BN01905560全国書誌番号:84027305 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 山口県文書館編『萩藩閥閲録』巻64「二宮太郎右衛門」、巻114「二宮万七郎」