長野重一
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長野 重一(ながの しげいち、1925年3月30日[1] - )は、日本の写真家。
大分県大分市生まれ[1]。慶應義塾大学経済学部卒業。在学時に写真サークルである「フォトフレンズ」に入会、そこで野島康三の指導を受けた。1947年9月に大学を繰り上げ卒業して商社に就職したが、その1ヶ月後にフォトフレンズの先輩である三木淳に誘われ『週刊サンニュース』の編集部員となる。このときの編集長であった名取洋之助から雑誌編集の基礎を教えられる。1949年、名取の誘いを受け岩波映画製作所が刊行を計画していた『岩波写真文庫』の写真部員となる。ここで『鎌倉』、『いかるがの里』、『長崎』、『広島』などおよそ60冊の撮影を担当した。
1954年にフリーとなり、総合誌や写真雑誌でルポルタージュを発表。東京を対象とした作品も多く撮影している。 1960年代からは映画カメラマンとしても活躍し、市川崑監督の記録映画『東京オリンピック』などに参加した。同時期にTV CMのカメラマンとしても活躍。CM時代からの付き合いで大林宣彦監督の映画も数本、撮影カメラマンを担当した。
岩波書店の『日本の写真家』の編集委員でもあった。
代表作[編集]
主要な個展[編集]
- 長野重一写真の仕事・この国の記憶/東京都写真美術館/2000年
主な文献[編集]
- 「長野重一 日本の写真家28」岩波書店、1999年
撮影に参加した大林宣彦映画作品[編集]
- 可愛い悪魔(1982年・TV)
- 日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群(1986年)
- 北京的西瓜(1989年)
- ふたり(1990年・TV、1991年・映画)
- はるか、ノスタルジィ(1992年)- 冬景色の撮影のみ