長野県高遠高等学校

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長野県高遠高等学校
Nagano Prefecture Takato high school.jpg
長野県高遠高等学校(2017年1月撮影)
国公私立の別 公立学校
設置者 長野県の旗 長野県
設立年月日 1926年4月1日
(町立高遠実業補習学校)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
高校コード 20154F
所在地 396-0293
長野県伊那市高遠町小原824番地

長野県高遠高等学校の位置(長野県内)
長野県高遠高等学校

外部リンク 公式ウェブサイト(日本語)
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長野県高遠高等学校(ながのけん たかとおこうとうがっこう)は、長野県伊那市高遠町小原にある公立高等学校。町立高遠実業補習学校として、1926年に創立され、その後幾多の変遷を経て1949年(昭和24年)に組合立から県立に移管された。

概要[編集]

県内で初めて推薦入試やコース制選択単位制を導入するなど先進的な取り組みを行っており、普通科の中に進学コース・芸術コース(音楽・美術・書道)・福祉コース・情報ビジネスコースの4つのコースがある。

1984年度に高遠城址公園内にあった本校校舎が老朽化し、建替え時を迫られた際、伊那市(旧)などから伊那市東部への移転を打診されたが、「高校がなくなると地域が寂れる」との当時の高遠町および長谷村の強い要望を受け、旧高遠町内に留まった。その関係から両町村との強いパイプを有し、本校のIT化、コース制導入時に協力費等が支出された。[要出典]

城址公園のコヒガン桜が咲く時期になると駐車場として、校庭を土日に限り無料開放している。また、駐車場になっている期間の週末には、芸術コース音楽専攻の生徒による琴の演奏を披露している。

江戸時代高遠藩の藩校進徳館の「拓世、迫真の実学」の精神を教育方針に据えている。

沿革[編集]

校章

前身校[編集]

  • 1899年 - 町立高遠実業補習学校(高遠尋常高等小学校併設)。(長野県上伊那誌現代社会篇p.1200、高遠町誌p.237)
  • 1907年 - 高遠尋常高等小学校に補習科が創立[1]
  • 1907年 - 町立高遠実業補習学校(高遠尋常高等小学校附設)。一部(高等小学校補習科)、二部(女子裁縫科)、三部(男子夜学科)、四部(子守科)を置いて補習教育を始めた[2]
  • 1914年 - 一部(高等補習科)、二部(夜学科)、三部(裁縫科)とした[3]
  • 1917年 - 予科一・二年、本科一・二・三年・研究科とした[3]
  • 1922年 - 前期(尋小を卒業したもの)一・二年、後期(前期を終了したもの)一・二・三年・研究科とした[3]
  • 1926年 - 通年制実施に伴い、町立高遠実業補習学校として独立、並びに青年訓練所を併設[4]
  • 1926年 - 通年制補習学校(二か年) 増設。町立高遠青年訓練所(四か年) 併設[3]
  • 1935年 - 青年学校令により、青年訓練所を統合し、町立高遠柘植青年学校に校名を変更[5]
  • 1935年 - 実業補習学校、青年訓練所を廃止し、拓殖青年学校を設立[6]
  • 1936年 - 女子部を独立し、町立高遠実科高等女学校設立[4][7]
  • 1936年 - 女子部独立→高遠実科高等女学校 設置[8]
  • 1943年 - 実家高等女学校を町立高遠高等女学校と改称[4][7]
  • 1943年 - 高遠実科高等女学校を町立高遠高等女学校と改称[8]
  • 1944年
    • 実業学校令により高遠農業学校設立[4][7]
    • 拓殖青年学校が町立高遠農学校(三年制)に昇格[9]
  • 1948年 - 町立高遠高等学校が設立、移転、高遠と近隣町村の組合立に移管[4]
  • 1948年 - 町立高遠高等学校(新制高校)[10]。町立から組合立に移管。東部一町六か村(高遠町、長藤村、三義村、河南村、藤沢村、美和村、伊那里村)(高遠町誌p.238)

県立移行後[編集]

  • 1948年 - 学校教育法により、長野県高遠高等学校となる[4]
  • 1949年 - 藤沢・美和・伊那里・三義に高遠高校を中心校とする分校と定時制を設置[4]
  • 1949年 - 組合立から県立に移管。(高遠町誌p.238)普通科、農業科、被服科および定時制中心校ほか藤沢、美和、伊那里、三義の各分校を設置。(高遠町誌p.238)
  • 1950年
    • 全日制林業科設置[11]
    • 林業科(全日制)を加える。(高遠町誌p.238)
  • 1953年 - 林業科募集停止。三義分校を本校に統合[11]
  • 1958年 - 藤沢・美和・伊那里の各分校を本校に統合[11]
  • 1966年 - 定時制を廃止[11]
  • 1984年 - 現在地に新校舎建設[11]
  • 1995年 - コース制を導入[11]
  • 2005年10月22日 - 創立80周年記念式典。
  • 2006年11月14日 - 創造学園大学との高大連携を開始。[12]
  • 2015年10月17日 - 創立90周年記念式典。

出身者[編集]

交通[編集]

脚注[編集]

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参考文献[編集]

  • 『信州高遠学校百年史』 信州高遠学校百年史刊行委員会、高遠町、1972年(日本語)。
  • 『高遠高校の歩み 高等学校の歩み―その八十五年―』 高遠高校の歩み編集委員会、高遠高校の歩み刊行会、高遠町、1985年7月(日本語)。
  • 『高遠のあゆみ』 「高遠のあゆみ」編集委員会、高遠町、高遠町、1996年9月(日本語)。
  • 『信州の高校と同窓連』 長野県高等学校同窓会東京連合会、長野県高等学校同窓会東京連合会、1985年(日本語)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]