長野県大町高等学校

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長野県大町高等学校
Ōmachi senior high school01.jpg
過去の名称 長野県立松本中学校大町分校
長野県立大町中学校
長野県大町中学校
長野県大町南高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長野県の旗 長野県
学区 第4学区
設立年月日 1901年
(長野県立松本中学校大町分校)
閉校年月日 2016年4月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
理数科
学期 2学期制
高校コード 20182A
所在地 398-0002
長野県大町市大町3691-2
外部リンク 公式サイト
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長野県大町高等学校(ながのけん おおまちこうとうがっこう)は、かつて長野県大町市にあった公立高校[1]。前身は松本中学大町分校、後の旧制長野県大町中学校。1993年平成5年)には特色学科である理数科が開設された。2016年(平成28年)4月に長野県大町北高等学校と再編統合され、校舎の一部を利用し、長野県大町岳陽高等学校となった[1]

沿革[編集]

教育目標[編集]

高等学校における教育を徹底し、民主的文化的国家の形成者として、質実剛健にして、豊かな情操と高い知性とを備え、真理を追求し、自主的精神にみちた、心身共に健全な生徒の育成をはかる。

校章[編集]

北アルプスにひっそり咲き乱れるシラネアオイを図式化したものでありその可憐な花と見える部分はガク偏が変化したものであり厳しい自然と共に生きる本校の質実さを表している。

校歌[編集]

校歌は、旧制中学校時代の1911年に、開校10周年を記念して、それまでなかった校歌の制定が行なわれることとなり、東京音楽学校教授吉丸一昌に作詞が依頼され、吉丸は取材のために大町を訪れ作詞をした。校歌には地名や固有名詞が出てこない。内容は、大町・安曇地域の自然と、そこで学ぶ生徒への奨励歌である。吉丸は、「早春賦」の作詞者としても知られるが、その歌詞はこのときの大町・安曇野訪問の際に着想を得たものとされている[3]
作曲者の島崎赤太郎は、文部省編「尋常小学唱歌」の作曲主任。1902年から1906年までドイツの王立ライプツィヒ音楽院で作曲・オルガン等を学んできた東京音楽学校教授。
校歌


西に東に聳え立つ 山は不断の雲を吐き
南に北に流れ行く 水は狭間に華と散る

楽しからずや山川の 清きを己が心にて
学びの窓の明け暮れに 文の林を辿るなり

努め励めや勤しめや 伸びゆく国の平和は
吾が双肩にかかりたり いざや励まんもろともに

その他[編集]

  • 挨拶は「魂知和(こんちわ)」。応援練習で指導を受け、生徒に広く浸透している。公的な場でも用いられる。
  • 全校登山という学校行事がある。白馬岳燕岳穂高岳蝶ヶ岳唐松岳等の登山コースを自分の体力に合わせて選択する。
  • クラブ活動では地の利を生かした山岳部やスキー部があり、毎年のように全国高等学校総合体育大会(インターハイ)へと選手を送り出している。近年、陸上部もインターハイで活躍している。
  • 秋には全校行事で合唱コンクール、強歩大会が行われる。強歩大会コースは鹿島槍スキー場を経由する約30キロメートルである。
  • 冬は、1年生を対象にスキー・スノーボード教室が行われる。
  • 文化祭は「白嶺祭(しらねさい)」と称し、その由来は北アルプスに由来する。
  • 鍬ノ峰の仏崎観音寺登山ルートは平成13年・大町高校百周年を記念して、大町高校山岳部が開設

交通[編集]

主な出身者[編集]

学者・教育者[編集]

実業家・政治家・ジャーナリスト[編集]

その他[編集]

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b c d 佐藤裕介 (2016年4月8日). “大町岳陽高が開校 大町、大町北統合 新しい校歌で門出”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 長野総合版 17 
  2. ^ 平成23年2月県議会定例会の結果について (PDF)”. 長野県教育総務課. 2012年10月31日閲覧。
  3. ^ 牛越徹 (2008年9月30日). “市長のひとこと(つれづれ日記)早春賦に寄せて(平成20年3月)”. 大町市. 2012年11月4日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]