長野城 (豊前国)

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長野城
福岡県
城郭構造 山城
築城主 豊前長野氏
築城年 保元2年(1157年)?
主な城主 豊前長野氏
廃城年 天正15年(1587年
遺構 土塁空堀、竪堀
指定文化財 なし
位置 北緯33度80分56.52秒
東経130度91分32.15秒

長野城(ながのじょう)は福岡県に存在した中世日本の城山城)。

位置・構造[編集]

現在の北九州市小倉南区長野の、標高209mの城山山頂に位置する。山頂の削平地に本丸、その北東の方形台地にがあったと推定されている。城の周囲のほとんどを200以上の畝状竪堀で取り囲んでいるのが特徴で、現在もその遺構が残っている。山麓には城主だった豊前長野氏の菩提寺である護念寺がある。

歴史[編集]

『豊前志』の記述では保元2年(1157年)に平康盛が当城を築き長野氏を称したとされる。しかし現在では長野氏の出自は大宰府官人または長野荘の荘官と考えられており、創始は定かでない。南北朝時代以降、長野氏は当城を本拠として企救田川京都郡などを勢力下においた。

やがて長野氏は大内氏に属し、永禄元年(1558年)に毛利氏門司城を落とすとその勢力下に入っている。毛利氏が九州から撤退した後の永禄8年(1565年)には大友氏が来攻し、長野氏を支配下に入れた。天正15年(1587年)の九州征伐の後は筑前国小早川隆景が入り、長野氏はその家臣となって当地を去り、長野城は破却された。

参考文献[編集]

関連項目[編集]