長谷川富三郎

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長谷川 富三郎(はせがわ とみさぶろう、1910年 - 2004年8月19日)は日本の版画家。号は無弟棟方志功とともに民芸運動を支えた板画家である。

略歴[編集]

1910年(明治43年)に兵庫県姫路市に生まれる。1929年(昭和4年)に鳥取県師範学校を卒業し、倉吉市の明倫小学校に勤務する傍、1934年に倉吉の文化団体「砂丘社」同人になり油絵を描くようになる。

そのころに吉田璋也と出会い民芸運動に参加する。そして同運動に関わっていた柳宗悦河井寛次郎らに師事するようになり、1940年(昭和15年)より棟方志功との交友が始まる。戦後、その棟方のすすめで板画を始める。全国的に活動しながらも終生倉吉を本拠にし、鳥取県の芸術の振興に寄与した。2004年(平成16年)8月19日、敗血症のため死去[1]

作風[編集]

作品は墨一色から裏彩色、多色摺りまで多種多様であるが、いずれも明快かつ力強い表現で、河井寛次郎と棟方志功の影響を見て取れる。

備考[編集]

三朝バイオリン美術館の長谷川富三郎展示室
「打吹童子」レリーフ(打吹公園
  • 1959年、三朝町大沼小学校長
  • 1961年、倉吉市立西郷小学校長
  • 1974年、第一回日本海文化賞受賞
  • 2003年、鳥取県文化功労賞受賞
  • 日本版画院展審査委員長
  • 日本版画院名誉会員

主な作品[編集]

コレクション[編集]

1990年代前半に長谷川作品を美術館で常設展示しようという動きが地元倉吉市民の間であった。5年間かけて約450点を収集したが、地元の倉吉博物館ではスペースが足りず、隣の三朝町の「みささ美術館」に寄付された。当初は常設展示コーナーが設けられていたが、2013年7月に三朝町が同美術館の運営を民間委託し、名称も三朝バイオリン美術館に変更されたため、コレクションは公開されなくなり、2017年11月現在収蔵庫に眠っている[2]

脚注[編集]

  1. ^ 長谷川富三郎氏死去/板画家 - 四国新聞社
  2. ^ 大胆・明快 無弟版画再び - 2017年11月24日付読売新聞鳥取版