長谷川国利

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長谷川 国利
読売ジャイアンツ女子チーム 助監督 #83
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都江東区
生年月日 (1962-05-26) 1962年5月26日(61歳)
身長
体重
182 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1984年 ドラフト4位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

長谷川 国利(はせがわ くにとし、1962年5月26日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。2023年から読売ジャイアンツ女子チームの助監督を務める[1]

来歴[編集]

東海大相模高では右翼手、四番打者として活躍。1979年秋季関東大会に進むが1回戦で君津商に惜敗。翌1980年春季関東大会は決勝に進出するが愛甲猛のいた横浜高に敗退。同年夏の甲子園県予選でも有力視されたが、3回戦の三浦高との試合中に不祥事があり、以後の出場を辞退した。高校同期に中堅手宮下正彦がいる。

高校卒業後は東海大学に進学し、原貢の指導を受ける。首都大学野球リーグでは在学中に4回優勝。1年上のエース高野光を擁し、1983年明治神宮野球大会では決勝で駒大を破り優勝を飾る。しかし4年生時の1984年園川一美のいた日体大に圧倒され、春秋季連続優勝を許す。31試合連続安打のリーグ記録を樹立した。3年春・最優秀選手、ベストナイン2回。

プロ入り後

1984年プロ野球ドラフト会議横浜大洋ホエールズから4位指名を受け入団。その打撃力と強肩を高く評価され松原誠背番号25を受け継ぐなど期待された。

しかし、故障が相次ぎ一軍出場のないまま1990年限りで現役を引退。

引退後[編集]

引退後はスコアラーに転身し、その後スカウトに就任。チーフスカウトとして木塚敦志を獲得するなど活躍していたが2002年に東海大学の人脈を活かして久保裕也を獲得する予定が、フロントがチーフの長谷川に無断で断ってしまい気分を害し、その他にも球団フロントとの対立などがあり同年夏に退団した。このため横浜球団と東海大学は疎遠になり、前年に指名した小田嶋正邦を最後に東海大学在籍の選手を指名していなかった[要出典]。ただし、2012年8月と2013年の8月に横浜DeNAベイスターズと東海大学のオープン戦が行われ、2016年には東海大学札幌キャンパスから水野滉也を指名した。 その後は読売ジャイアンツの編成本部付部長となった[2]

巨人女子・助監督時代[編集]

2022年11月23日、2023年から本格的に始動する読売ジャイアンツ女子チームの助監督就任が発表された[1][2]。背番号は「83」となる。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 25 (1985年 - 1990年)
  • 83 (2023年 - )

脚注[編集]

  1. ^ a b 読売ジャイアンツ女子チームの新入団選手、監督らを発表”. 読売巨人軍 (2022年11月23日). 2022年11月24日閲覧。
  2. ^ a b 【巨人】女子硬式野球チーム監督に宮本和知氏、コーチは松本哲也氏、佐藤弘祐氏、助監督に長谷川国利氏”. スポーツ報知 (2022年11月23日). 2022年11月24日閲覧。

関連項目[編集]