長谷川剛

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長谷川 剛(はせがわ たけし、1960年ないし1961年[1] - )は、千葉県の八千代市立勝田台中学校音楽教師[2]

坂本九の遺作となった楽曲「心の瞳」を,市川市の中学生のために合唱曲として編曲した[2]1986年の卒業式で中学生が歌った合唱入りカセットテープは,当時の保護者から坂本の妻,柏木由紀子に送られ,やがて柏木から「皆様の心の中に坂本九がずっとずっと生き続けてくださることができたら…とても幸せです」との手紙が届く[2]その後,田中安茂の働きにより,音楽之友社から合唱譜として発売された。ただし,編曲にあたって長谷川が使用した音源は,坂本が事故の当日に放送したライブ音源だったため,荒木とよひさによる本来の歌詞とは異なっている。[要出典]

脚注[編集]

  1. ^ 2011年12月10日付の新聞記事で50歳と報じられている。
  2. ^ a b c “(上を向いて歩こう 坂本九生誕70年:5)遺作「心の瞳」 歌い継がれ”. 朝日新聞・朝刊・神奈川: p. 28. (2011年12月10日). "その後、遺作となった「心の瞳」は、合唱曲として生まれ変わる。中学で音楽を教える長谷川剛(たけし)(50)が、死の直前に収録したラジオ番組を聴いた。「歌に不思議な力がある。子どもたちに歌わせたい」と思い立った。放送の録音テープを聞き直し、合唱曲に仕立てた。当時勤務していた千葉県市川市内の中学で生徒に歌わせ、翌86年3月の卒業式にも使った。このとき、保護者が録音したテープを柏木へ送る。同年7月、柏木から手紙が届いた。「皆様の心の中に坂本九がずっとずっと生き続けて下さることが出来たら……とても幸せです」。… 長谷川の手書きの楽譜はコピーされ、近隣の中学に広まっていく。何人もの手を経て数年後、出版社にも渡り、当時東京都内の中学に勤務していた洗足学園音楽大准教授、滝口亮介(59)が編曲。合唱曲集などが93年に出版され、全国に広まる。中学の音楽の教科書にも載った。"  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧