長江健次

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ながえ けんじ
長江 健次
生年月日 (1964-07-17) 1964年7月17日(53歳)
出生地 日本の旗 日本 大阪府豊中市
身長 170 cm
血液型 O型
職業 俳優歌手タレント
ジャンル テレビドラマ映画舞台
活動期間 1981年 -
事務所 フリー
公式サイト 長江健次 Web Site
主な作品
バラエティ番組
欽ドン!良い子悪い子普通の子

長江 健次(ながえ けんじ、1964年7月17日 - )は日本俳優タレントスノーボーダー大阪府豊中市出身。現在、フリー。オフィスキイワード32プロ と業務提携。大阪府立渋谷高等学校卒業。大阪芸術大学中退。

来歴・人物[編集]

  • 幼少の頃から学校では笑いを集める人気者だった。中学生時代から、地元・大阪で素人出演の番組に頻繁に出演し、物真似を中心とした芸を披露していた[1]
  • 高校在学中、素人番組の出演で出来た人脈の伝でフジテレビバラエティ番組欽ドン!良い子悪い子普通の子』の出演者の一般公募オーディションに参加したが、落選[注 1]。オーディション終了後、会場にまだ残っていた長江に萩本欽一が目を留め、そのあまりにも普通な風体にインスピレーションを感じて、オーディション時とは違う「フツオ役」を演じさせてみたところ見事にイメージに嵌った。その場で一転して「合格」となりフツオ役を与えられた。後日、配役が変更となり、西山がワルオ役、山口がヨシオ役に廻された。
  • 1981年4月6日、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』放送開始に伴いフツオ役でデビュー[注 2]。第1回放送で父親役の萩本欽一の頭を叩いて笑いを取るが、収録後に「最初からエスカレートさせると、ハードルが上がって笑いを取るのが難しくなる」「フツオ=普通の子は親の頭を叩かない」と萩本から説教され、その後は全て萩本の指示通りに演じていたという。
  • コーナーで萩本とのやり取りの後、居間から出る時の決めゼリフだった「…な!!」が流行し、一躍ブレイク。街中で声を掛けられるなど人気者となったが、一般の人にものまねされるのは面白くなかったとのこと。松田聖子のファンを公言したことで、松田聖子のファンから反感を買い学校の登下校で待ち伏せされたこともあったという。ただし、知人たちがシャットアウトしてくれたため危害を受けることはなかった。
  • 共演したヨシオ役の山口良一、ワルオ役の西山浩司と「イモ欽トリオ」を結成。瞬く間に人気ユニットとなり、ティーン向けアイドル雑誌にもしばしば取り上げられた。1981年8月5日にリリースしたシングル「ハイスクールララバイ」は、150万枚を売り上げ、1981年度オリコンチャートでも4位を記録する大ヒットとなる。しかし大学受験等を理由に東京での仕事を減らし、1982年9月27日放送分をもって番組を降板、同時にイモ欽トリオを脱退した(二代目フツオ役は後藤正が担当となる)。ただ本当の理由は大学受験でなく、毎日放送からの要請であったことを後に明かした。[2]
  • 大学進学を機に、関西をメインに芸能活動を再開する。1983年から1985年まで毎日放送(MBSテレビ)で放送された『突然ガバチョ!』で笑福亭鶴瓶とともに司会を務め、明石家さんまとの『MBSヤングタウン』での共演もこの頃で、関西地区での人気も確かなものとする。しかしこの芸能活動再開は、萩本欽一をはじめ東京での芸能活動時の所属事務所や関係者に対して一切の相談も断りもない形での再開だったため、萩本らの逆鱗に触れ(事実上、萩本は「破門」の烙印を押した)、長江は現在の事務所の前身となるヤングジャパングループに所属するまで、東京での芸能活動が制限されていた。「欽ドン」の同窓会番組などでも、主要レギュラーメンバーで、長江だけが呼ばれていないことが続いていた。しかし近年では、萩本欽一とも和解したと見られており(「破門」も解かれた)、「欽ちゃんファミリー」が集まる番組の多くに出演するようになり、2007年の『24時間テレビ』でのマラソン応援など、萩本との共演の機会も度々見られるようになった[3](2005年4月12日フジテレビ放送の「紅白ものまね」で亘哲平工藤兄弟のユニットでイモ欽トリオの物まねをした際にも、他のメンバーと一緒に本人登場を果たした)。
  • また俳優としても、テレビドラマ・映画のみならず、多数の舞台に出演。その一方で趣味のスノーボードを活かし、プロの大会への参加やインストラクターとして活躍している。オリンピックの選考会にも出場した本格派であり、藤森由香竹内智香のコーチを務めていたことでトリノオリンピックではコーチとして参加している[4]。長江健次スノーボードスクールでインストラクターとして後進の育成に努める一方、白馬五竜スキー場において自身の名前を冠した4時間耐久レースなども開催している。
  • ライブハウスを中心に音楽活動も活発に行っている。2014年7月には神戸チキンジョージで50歳を記念したライブ『長江健次生誕50周年記念LIVE「健次の五十路」〜今回はバンドでやっちゃいます〜』には、山口と西山がゲスト出演して『ハイスクールララバイ』を披露した。2015年1月24日には同店で「イモ欽トリオ」名義のライブを行った[5]。「イモ欽トリオ」名義で有料でライブを行ったのは初めてである(フリーライブやテレビ番組の企画のライブは数回ある)。また、同年8月には、『ハイスクールララバイ』を作詞した松本隆の作詞活動45周年を記念したコンサート『風街レジェンド2015』に参加。
  • 2016年8月8日テレビ朝日系で放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!3時間スペシャル』に出演し「お世話になった人に不義理を働いて絶縁状態にならないための授業」を展開した。上述のように、萩本に不義理を働き約30年も絶縁状態になった件をはじめ、さんまや鶴瓶に対しても不義理を働いていた件、さらには5年ほど前から仕事がなくなり収入もゼロになりアルバイト生活にまで転落したことなどを明かした[6][7][8]
  • 双子の男児の父親。大阪の自宅とともに東京での活動拠点として都内に別宅を持っている。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

Vシネマ[編集]

  • 大阪パチンコ物語 浪花の勝負師(1992年)
  • 悪い金儲け(1992年)
  • 難波金融伝・ミナミの帝王4(1994年) - 田所純平 役
  • 難波金融伝・ミナミの帝王5(1994年) - 田所純平 役

ミュージカル[編集]

ディスコグラフィー[編集]

イモ欽トリオ名義の作品はイモ欽トリオのディスコグラフィーを参照。

シングル[編集]

  • SHYナ・ガール(1983年10月21日)
  • 2度目のサヨナラ(1984年2月25日)
  • 飾らない言葉(1984年5月25日)
  • 涙・BOY(1984年9月5日)
  • ダンナがナンダ(1986年12月1日)
  • NINETEEN(1992年5月25日)※角松敏生プロデュース

アルバム[編集]

  • BOY'S LIFE(1983年11月21日)
  • 屋根の上の招待状(1984年6月21日)
  • Hito no Uta(2016年1月11日)※カバーアルバム、クラウドファンディング型レコード会社(レーベル:mucre)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ フツオ役に山口良一、ヨシオ役に西山浩司が決まったが、ワルオ役が決まっていなかった。なお、当初の予定では男性二人・女性一人でのメンバーを予定していたとのこと。
  2. ^ 「父親と高校生の息子の会話」の設定で、父親からの問いかけ(お題)に普通の子・良い子・悪い子がそれぞれ答える三段オチのコント形式コーナー。

出典[編集]

外部リンク[編集]