長崎大学教育学部附属小学校

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長崎大学教育学部附属小学校
Nagasaki University Fuzoku Elementary School.jpg
過去の名称 長崎大学学芸学部附属小学校
国公私立の別 国立学校
設置者 国立大学法人長崎大学
併合学校 長崎大学学芸学部第一附属小学校
長崎大学学芸学部第二附属小学校
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 852-8131
長崎県長崎市文教町4-23
公式サイト 長崎大学教育学部附属小学校
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長崎大学教育学部附属小学校(ながさきだいがくきょういくがくぶふぞくしょうがっこう, The Elementary School Attached to the Faculty of Education, Nagasaki University)は、長崎県長崎市文教町にある国立小学校

長崎大学教育学部の附属校であり、長崎大学教育学部附属中学校が併設されている。

概要[編集]

校章
北斗星(☆五光星)をモチーフに、中央に「附」の文字を置く。星の5つの先端はそれぞれペン先になっており、学問を表している。またこの校章にちなみ、児童を「北斗の子」と呼んでいる。
教育目標
3つの道標「北斗の子」
  • 自分の力で、ねばり強くやりぬこう。
  • 物事は筋道を立てて深く考えよう。
  • 決まりを守り、協力して生活を明るくしよう。
合言葉
「いい顔、いい声、いい心」

沿革[編集]

官立(国立) 師範学校附属小学校
  • 1874年明治7年)2月19日 - 立山に官立(国立)の「長崎師範学校」が開校。
  • 1875年(明治8年)
    • 9月14日 - 附属小学校の生徒を募集。
    • 11月 - 「官立長崎師範学校附属小学校」が開校し、50名の入学が許可される。
  • 1878年(明治11年)2月 - 国の財政悪化により、官立長崎師範学校が廃止される。建物・備品は長崎県に移管され、附属小学校は「崎陽師範学校第二附属小学校」となる。
県立 師範学校附属小学校
長崎大学教育学部附属小学校の前身とされている。
  • 1874年(明治7年)2月15日 - 勝山小学校(現長崎市立桜町小学校)内に「小学教則講習所」が開校。
  • 1875年(明治8年)2月26日 - 「小学教則養成所」と改称し、興善小学校[1](後の長崎市立新興善小学校)内に移転。
  • 1876年(明治9年)
    • 1月26日 - 「小学教師養成所」に改称。
    • 5月31日 - 「長崎公立師範学校」と改称。
  • 1877年(明治10年)
    • 2月 - 勝山小学校内に再び移転。
    • 4月12日 - 「崎陽師範学校」と改称(「崎陽」は「長崎」を中国語風に呼んだ名称)。
    • 11月11日 - 新町(現 興善町)の小倉藩邸跡に校舎を新築し、移転。
    • 12月 -「崎陽師範学校附属小学校」が開校。
  • 1878年(明治11年)
    • 1月 - 崎陽師範学校附属小学校開校式を挙行。
    • 3月 - 官立師範学校廃止に伴い、官立長崎師範学校附属小学校が移管され、「崎陽師範学校第二附属小学校」となる。
    • 6月16日 - 崎陽師範学校を「長崎県師範学校」と改称(「長崎県師範学校附属小学校」・「長崎県師範学校第二附属小学校」)。
  • 1884年(明治17年)6月 - 長崎市西浜町(現 浜町・銅座町)75番地の附属小学校敷地内に「長崎県女子師範学校」を設立。
(「長崎県師範学校附属小学校」・「長崎県女子師範学校附属小学校」)。
  • 4月 - 長崎県女子師範学校が長崎県師範学校(男子校)への統合により「長崎師範学校女子部」となる。
(「長崎師範学校附属小学校」・「長崎師範学校女子部附属小学校」)。
(「長崎県尋常師範学校附属小学校」・「長崎県尋常師範学校女子部附属小学校」)。
(「長崎県師範学校附属小学校」・「長崎県師範学校女子部附属小学校」)。
  • 1908年(明治41年)4月 - 長崎県師範学校が「長崎県師範学校」(以下、男子師範)と「長崎県女子師範学校」(以下、女子師範)の2校に分離[2]
(「長崎県師範学校附属小学校」・「長崎県女子師範学校附属小学校」)
県立から官立(国立)への移管
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 師範教育令の改正により、長崎県師範学校と長崎県女子師範学校が統合され、官立(国立)「長崎師範学校」が設置される。
    • 男子部の校地は長崎市西浦上に設置(移管前と変更なし)。長崎市西浦上国民学校の附属国民学校代用を終了し、「長崎師範学校男子部附属国民学校」を設置。
    • 女子部の校地は大村市下久原に設置(移管前と変更なし)。大村市第一国民学校の附属国民学校代用を終了し、「長崎師範学校女子部附属国民学校」を設置。
  • 1945年(昭和20年)
    • 8月9日 - 長崎市への原爆投下により、西浦上の男子師範が大きな被害を受け、当地での授業再開が困難となる。
    • 10月 - 師範学校の本部を大村の女子部に移し、男子部も大村に移転。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制の実施)により、附属国民学校初等科を附属小学校に、高等科(2年制)を附属中学校(新制中学校)に改組。
    • 男子部 - 「長崎師範学校男子部附属小学校」・「長崎師範学校男子部附属中学校」
    • 女子部 - 「長崎師範学校女子部附属小学校」・「長崎師範学校女子部附属中学校」
国立大学 教育学部 附属小学校
  • 1949年(昭和24年)7月31日 - 新制大学長崎大学が発足。長崎師範学校は学芸学部の母体として長崎大学に包括される。
    • 男子部 - 「長崎大学長崎師範学校第一附属小学校」に改称。
    • 女子部 - 「長崎大学長崎師範学校第二附属小学校」に改称。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 長崎師範学校の廃止を1年後に控え、校名を改称。
    • 男子部 -「長崎大学学芸学部第一附属小学校」に改称。
    • 女子部 -「長崎大学学芸学部第二附属小学校」と改称。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 長崎師範学校(男子部・女子部)の廃止に伴い、第一附属小学校と第二附属小学校を統合し、「長崎大学学芸学部附属小学校」と改称。
  • 1952年(昭和27年)6月10日 - 大村市下久原に移転を完了し、附属中学校と同居。
  • 1954年(昭和29年)
    • 3月31日 - 長崎大学学芸学部の長崎市移転に伴い、大村の附属小学校は閉校となる。児童は大村市立大村小学校に収容される。
    • 4月12日 - 長崎市大橋町(現・文教町)に移転し、附属中学校と同居する。
  • 1955年(昭和30年)4月8日 - 昭和町の長崎市立西浦上小学校跡(現在地)に移転し、附属中学校と同居。
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - 学部名改称に伴い、「長崎大学教育学部附属小学校」(現校名)となる。特殊学級を設置。
  • 1971年(昭和46年)3月31日 - 特殊学級が廃止される。同年4月1日に長崎大学教育学部附属養護学校が開校。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 国立大学法人化。1・2年の複式学級を導入。
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 3・4年の複式学級を導入。
  • 2006年(平成18年)4月1日 - 5・6年の複式学級を導入。

交通アクセス[編集]

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
  • 昭和町バス停[7]から徒歩約5分
    • 長崎バス - 長崎駅浦上駅方面から9番のバスに乗車。
    • 県営バス - 長崎駅・浦上駅方面から「サニータウン」、「女の都(めのと)団地」行きのバスに乗車。
  • 「附属小学校前」バス停からすぐ。
    • 長崎バス - 長崎駅・浦上駅方面から1番の「長与ニュータウン」、「緑ヶ丘団地」、「女の都団地」、「恵の丘」、「三川町」、「西山台団地」行きのバスに乗車。
最寄りの道路

周辺[編集]

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 1874年(明治7年)12月20日に勝山小学校から生徒79名を移し、興善小学校が新設された。
  2. ^ 長崎県告示第81号による。
  3. ^ 長崎県立大村城南高等学校学校案内、2011年(平成23年)4月19日閲覧。大村城南高は昭和30年(1955年)に長崎大学教養部跡(旧師範学校下久原校地跡)に移転している。
  4. ^ 大村市立大村小学校#沿革を参照。
  5. ^ 1930年(昭和5年)大村高等女学校(現長崎県立大村高等学校の前身の一つ)の校舎が台風で倒壊した。その復興費用を節約するため、女子師範を大村の男子師範校舎に移転し、これに大村高等女学校を併設することになった
  6. ^ 『長崎県教育史』(1976年) 258-259頁。
  7. ^ 高速バスの停留所にもなっている。

参考資料[編集]

  • 市制百年 長崎年表(長崎市役所、1989年(平成元年)4月1日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]