長塚古墳 (沼津市)

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 長塚古墳
Nagatukakofun numadu.jpg
長塚古墳
所在地 静岡県沼津市東沢田字長塚403
位置 北緯35度7分43秒
東経138度51分25秒
座標: 北緯35度7分43秒 東経138度51分25秒
形状 前方後円墳
規模

墳丘長径54メートル 後円部真径31メートル 周溝外径(長径)75メートル

前方長24メートル
埋葬施設  
築造時期 6世紀前半
史跡 静岡県史跡
地図
長塚古墳 (沼津市)の位置(静岡県内)
長塚古墳
長塚古墳
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長塚古墳(ながつかこふん)は、静岡県沼津市東沢田長塚403番地にある前方後円墳である[1]

概要[編集]

長塚古墳は、愛鷹山の東南麓海抜約50メートルの丘陵上にある。沼津市に古墳がつくられた時期は5世紀後半頃と考えられていたが、同市にある神明塚古墳が2005年(平成17年)の調査で前期古墳と判明[2]。2014年(平成26年)に高尾山古墳が230年築造と市長定例会見で発表され3世紀より作られていたことがわかった[3]。長塚古墳が愛鷹山東南麓に造られたのは6世紀前葉である。愛鷹山南麓では、長塚古墳の周辺にもいくつかの小円墳がある。当時の珠琉河国では、古墳時代を通じて政治権力が愛鷹山の東南麓で変遷したと推定される。長塚古墳もまた、有力な豪族の墳墓と考えられる[4]

幅9~10メートルの周溝があることが調査により判明している。また墳丘の上には、葺石がないこと、埴輪列があったことなども同じくわかっている。後円部からは副葬品と推定される鉄鉾が出土している。また、周溝から各種埴輪が見つかり、くびれ部では土師器須恵器も見つかっている[5]

発掘の経緯[編集]

1956年(昭和31年)に沼津市誌編纂事業の一環として、当時としては数少ない古墳の構造に視点を定めた調査を明治大学後藤守一教授を中心に行った[6]。他の発掘者は長田実、小野真一、大塚初重。この古墳は駿河国を治めた国造のものであると推定されている[7][8]

規模[編集]

長塚古墳の規模は、下記のとおりである[9]

  • 墳丘長径 54メートル
  • 後円径 31メートル
  • 後円頂径 16.5メートル
  • 後円部高 6.5メートル
  • くびれ幅 12.5メートル
  • 前方長 24メートル
  • 前方幅 16.5メートル
  • 前方部高 3.6メートル
  • 周溝外径(長径) 75メートル

出土品[編集]

長塚古墳の出土品として、下記が見つかっている[10]

  • 鉄製鉾身(後円部頂攪乱土中)
  • 円筒埴輪・朝顔型埴輪・形象埴輪(人物)
  • 須恵器(杯身・杯蓋・器台・脚台甕) 須恵器は陶邑編年MT15型式に相当するものであり、6世紀前葉の年代と考えられる。
  • 土師器(高坏・杯身・坩)

現地情報[編集]

所在地

関連施設

  • 沼津市文化財センター(沼津市大諏訪) - 長塚古墳出土品等を保管・展示

周辺

脚注[編集]

  1. ^ 沼津市教育委員会編『沼津市文化財報告書第68集 長塚古墳・清水遺跡発掘調査報告書』1999年
  2. ^ 沼津市文化財調査報告書 第104集『高尾山古墳発掘調査報告書』(2012年 沼津市教育委員会)7ページ
  3. ^ 平成26年8月27日付『沼津市定例記者会見発表』
  4. ^ 沼津市文化財調査報告書第68集 『長塚古墳・清水遺跡 発掘調査報告書』(1999年 沼津市教育委員会)
  5. ^ 富士市立博物館編 『富士山の下(ふもと)に灰を雨(ふ)らす-富士の噴火と古墳時代後期の幕開け-』2012年21ページ
  6. ^ 沼津市教育委員会編 『沼津市史資料編考古』2002年
  7. ^ 沼津市教育委員会編 『沼津市史資料編考古』2002年
  8. ^ 沼津市教育委員会編『沼津長塚古墳』1957年 8ページ~23ページ
  9. ^ 沼津市文化財調査報告書第68集 『長塚古墳・清水遺跡 発掘調査報告書』(1999年 沼津市教育委員会)
  10. ^ 沼津市史誌 資料編 考古 2002年 沼津市史誌編纂委員会 沼津市教育委員会編

外部リンク[編集]