鎮西奉行

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鎮西奉行(ちんぜいぶぎょう)とは、鎌倉幕府において、鎮西(九州)の御家人の指揮統制を行った職である。鎮西守護(ちんぜいしゅご)とも呼ばれる。

概要[編集]

1185年文治元年)、源頼朝天野遠景をこの職に任じて、九州の御家人の指揮統制にあたらせたのが始まりである。平家の残党及び源義経一党らの追捕がもともとの任務であったが、その後全九州の御家人の統轄にあたるようになり、大宰府の機能も継承した。

頼朝は、1180年治承4年)に鎌倉侍所を置き御家人を統制し、さらに1185年には、義経の追捕を理由に、各国へ守護地頭を設置し、全国の支配権を確立した。そして地方には、京都守護を、九州には鎮西奉行を、奥州には奥州総奉行をそれぞれ設置して統制させた。

遠景の後について、中原親能武藤資頼が継いだとする説もあるが、瀬野精一郎は、遠景後の後継者について諸説あることをまとめた上で、「鎮西奉行は一般的呼称にすぎず、鎌倉幕府の正式な官職名ではなかったとする説(佐藤進一説)もあるごとく、その性格がなお不明瞭な点が多いことに起因しているといえる」[1]と指摘している。

元寇の後、鎮西奉行に代わり新たに鎮西探題が設置された。

脚注[編集]

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  1. ^ 『国史大辞典第9巻』p.687a

参考文献[編集]

  • 『国史大辞典第9巻』国史大辞典編集委員会、吉川弘文館、1988年。

関連項目[編集]