鎮台
鎮台(ちんだい、鎭臺[1])は、1871年(明治4年)から1888年(明治21年)まで置かれた日本陸軍の編成単位である。常設されるものとしては最大の部隊単位であった。兵制としては御親兵の後を継ぐもので、鎮台の設置とその後の徴兵制実施をもって日本の近代陸軍の始まりとする。師団への改組で廃止された。この他に行政官衙として1868年(慶応4年)1月、大和・兵庫・大坂・江戸に鎮台が置かれたが間もなくに裁判所に改称された。
概要[編集]
略史[編集]
- 明治4年4月23日(1871年6月10日) - 東山道鎮台(本営石巻、分営福島・盛岡)、西海道鎮台(本営小倉、分営博多・日田)設置[2]。
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 東山道鎮台、西海道鎮台を廃止。東北鎮台(仙台)、東京鎮台、大阪鎮台、鎮西鎮台(熊本)の4鎮台を置く[2]。
- 明治5年4月1日(1872年5月7日) - 鎮西鎮台が熊本鎮台に改称。
- 明治6年(1873年)1月9日 - 名古屋鎮台、広島鎮台を設置して、6鎮台制をしく[2]。東北鎮台を仙台鎮台に改称。
歴史[編集]
明治初年には一部地域で大坂鎮台など鎮台という名の地方行政機関が置かれ、短期間でなくなった。ここで解説する軍隊の鎮台はそれと異なるものである。
明治新政府の重要な課題として、近代の中央集権制度にもとづく兵力軍備の統制と編成があった。そのさい全国統一的な常備軍の編成にさいして幕藩体制下での藩兵・旧武士団の解体、および新たな編成の手続きが課題であった[3]。最初の画期は1871年2月に正式に編成された御親兵であり、鹿児島・山口・高知からなる御親兵の編成費用は宮内省の定額金を割いて兵部省に下付され成立した。一方で地方では旧来の藩が兵力を確保・統括しており、地方の兵力運用に際しては特定近隣の藩に兵力を派遣(出張)させるよう通達を出しており、その派遣費用は藩費で負担させるという兵力編成の思想でなされていた。1871年4月に出された東山道と西海道の二鎮台設置の布告はこのようなものであり、当初は鎮台の内部組織や指揮統括関係など規定されず、出先機関の性格が強く兵力編成の統一性や鎮台自体の常設化の計画もみられなかった[4]。
まず、太政官が将来全国に鎮台を置くことを明らかにした上で、1871年6月10日(明治4年4月23日)に現在の東北地方に東山道鎮台(本営石巻、分営福島・盛岡)、現在の九州地方に西海道鎮台(本営小倉、分営博多・日田)の2鎮台を設置することを布告した[2]。しかし、実際に部隊編成を行ったのは西海道鎮台のみであった[2]。同年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県により全国が明治政府の直轄となったが、同時に兵部省職員令が出され、北海道・石巻・東京・大阪・小倉の5鎮台制の構想が示された[2]。しかし、他の地方と比べ人口が極端に少ない北海道では鎮台の設置が後回しとなった。結果、同年10月4日(明治4年8月20日)に旧2鎮台を廃止し、東北鎮台(仙台)、東京鎮台、大阪鎮台、鎮西鎮台(熊本)の4鎮台が設置された[2]。このときの鎮台は、御親兵から転じた者と、士族からの志願者で編成された。残る各藩常備兵は武装解除されることになる[2]。
1873年に2つの鎮台が増設され、北海道を除く地域を、6軍管、14師管に分けた。軍管には鎮台、師管には営所が置かれた。新たに設けられたのは名古屋鎮台と広島鎮台で、大阪鎮台から北陸地方が名古屋鎮台に、中国・四国地方が広島鎮台にそれぞれ移管された。また、東北鎮台は仙台鎮台に、鎮西鎮台は熊本鎮台にと、都市名を冠する名に改めた。北海道には鎮台がなく、かわりに屯田兵が置かれた。
1873年の徴兵令施行とともに、徴集された兵士が鎮台に入隊するようになった。この徴兵に対し、従来からの士族志願者の兵を壮兵と呼んで区別した。壮兵の比率はしだいに低下したが、鎮台の定員充足は容易ではなく、士族中心の軍隊から急激に変化したわけではない。鎮台時代最大の戦争だった西南戦争では、正規の鎮台兵に加えて近衛兵、屯田兵、警視隊、追加募集の兵が士族出身兵として加わり、あわせて士族が官軍将兵の半数を占めた。
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脚注[編集]
- ^ 大蔵省印刷局 『鎭臺條例改正』日本マイクロ写真、東京、1885年5月18日。doi:10.11501/2943769 。2020年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『新修 大津市史』5 近代 第1章 近代大津の出発(京都大学人文科学研究所元教授 古屋哲夫著 1982年7月)
- ^ 遠藤芳信「日露戦争前における戦時編制と陸軍動員計画思想(1)鎮台編制下の過渡期的兵員併用・供給構造の成立」『北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編』第54巻第2号、北海道教育大学、2004年2月、 67-81頁、 ISSN 1344-2562、 NAID 110000080351。
- ^ 遠藤芳信 2004, p. 69.
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。