鍼灸

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0.16mm径の鍼

鍼灸(しんきゅう,Acupuncture and Moxibustion)とは、身体に鍼や灸を用いた刺激を与えることで、多様な疾病への治療的な介入や健康増進を可能とする医療技術であり、日本では「医師」の他「はり師」「きゆう師」がこれを行える。発祥は戦国から後漢(B.C.5世紀~A.D.3世紀)にかけての中国である[1]。その実態は、身体へ加えた様々な物理刺激による治療的経験則の数世紀に亘る集積であり、これを技術論として構築した技法を「鍼灸」と呼ぶ。近世まで、生薬方と共に東アジア各国の主要な医療技術として発展した。特に17-19世紀の日本において鍼灸は独自の発展を遂げ、現在世界的に活用される鍼灸技法の基盤を形成した。20世紀後半よりは欧米においても有用な医療技術として認識されて活用されるようになり、これを受ける形で、世界保健機関(WHO)は、1996年10月28日-11月1日にセルビアで”鍼に関する会議”を開催し、1999年には、鍼治療の基礎教育と安全性に関するガイドラインを提示した[1][* 1]

UNESCOは「伝統中国医学としての鍼灸」(Acupuncture and moxibustion of traditional Chinese medicine)を、2010年11月16日に無形文化遺産に指定した[2]

概要[編集]

中国を中心に東アジア各地で近代まで行なわれてきた医療の主流は、生薬を用いた「生薬方」と、物理療法である「鍼灸」である。診察手段が「体表観察」と「触診」のみしかなかった古代から近代にかけて、体表面からの病態診断法(「」と呼ばれる病態の分類法)が発達し、それに対応する治療的技法として、生薬方と鍼灸を二本柱とする治療技法の体系が成立した。つまり鍼灸は東アジアにおける医療技法の片翼で、生薬方に対置するものである。

これら生薬方と鍼灸は、東アジア各国で地域に対応した発達をみたが、特に日本においては、江戸期に技法と技術体系の目覚しい発達が独自になされたことが知られる。すなわち、生薬方は「漢方」として日本独自のものとして発達し、鍼灸も「鍼管(ストロー状の外筒で中に細い鍼を入れるもの)」の発明による鍼の細径化とそれに伴う手技の変化と体系化が成し遂げられた。日本産の生薬方である「漢方」と、日本産の鍼管を用いた鍼灸を併せたものが、従来「東洋医学」と呼ばれ、第二次世界大戦後、共産中国において国策として成立した「中医学」と区別されてきた経緯がある。

日本においては、生薬方を用いる医師と鍼灸を用いる鍼灸医は、早い時代から分業化していたことが知られているが、分業が決定的になったのは江戸時代の盲人政策による。幕府の政策として「按摩」を盲人の専業として規定したところから、手技が連続する鍼灸も時を経ずして盲人の職業となっていった。これにより、日本においては、一般的な生薬を用いる医師(漢方医)と、盲人による鍼を用いる医師(鍼灸医)が医療の担い手となる。

盲人が鍼灸を担った歴史は世界の鍼灸を見渡しても例がなく、日本の鍼灸は非常に特異な経緯をたどったものと言える。先述の鍼管の発明や、技法の独自発達も、これら視覚の不自由な術者が技法を担ったことによりなされた側面が強く、江戸時代の盲人鍼灸医が果たした役割は非常に大きい。幕末から明治初期にかけての西欧医学の導入に際して、漢方医は比較的スムーズに西欧医に移行したが、鍼灸医については、当時の西欧医学には対応する技法もないため医療職からは除外され、「盲人の職業保護」との名目で、慰安業としての、はり・きゆう・按摩の資格と盲学校が残された。しかし、実際には、明治天皇はじめ鍼灸に信頼を寄せる人々も多く、鍼灸は現実には戦前までの国民医療の一端を担ってきたのが実情である。

戦後、それまで営業鑑札であったはりきゆうの免許が国家資格となり、幾度かの法改正を経て、現在では3年以上養成機関で学ぶことが、「はり師」と「きゅう師」の国家試験受験要件となっている。

なお、医師法との整合性については、「あんまマッサージはりきゆうに関する法律」第一条により、鍼灸に関連する医療行為に関しては、医師による業務独占を部分解除する、という形で認められている。

歴史[編集]

中国[編集]

古代~中古[編集]

中国春秋末から戦国時代には、「」はすでに用いられていたようで、「孟子」に灸治療に対する最古の記載がある。現存する医書として実際の鍼灸治療法が記載される最古のものとしては、馬王堆漢墓(前漢・B.C.168)出土の竹簡帛書(はくしょ=絹に書かれたもの)に、「足臂十一脈灸経」「陰陽十一脈灸経甲本」「脈法」「陰陽脈死侯」「五十二病方」等と名付けられたものがあるが、これらは全て「」に基づいた治療法の書である。施灸点としての「経穴」や「経絡」という概念も登場しているが、これら経絡・経穴に対する「」の適用法が確立したのは、後漢(~A.D.3世紀)の時代とされる。現在も活用される鍼灸の古典医書『黄帝内経(A.D.3世紀成立)』は、前述の出土医書群の直系とされているが、記述される内容は、完全に「」が主体の体系にシフトしている。これは、前漢から後漢に至る2~3世紀の間に、本来「」による物理療法として生まれた治療技術体系が、「?石」(へんせき=石のメスによる瀉血)療法等を包含し、より簡便な「」による物理療法として発展したことを示すものと考えられている。「」で見出された体表面の治療に役立つ部位(経絡経穴)は、「」による刺激にも対応することが発見され、発展を見たわけである。 その後「」療法が廃れたわけではなく、病態に対応した「」と「」の使い分けがなされ、「鍼灸」として活用されてきた。『黄帝内経』の『素問』異法方宜論篇には、華北平野の北方より「」が、東方より「?石」が、南方より「九鍼=」が、西方より「生薬方」が起こり、中央の「導引(気功=按摩・ストレッチ)」と合わさって、当時の医療技術を形成した伝説が記されている。その後これら鍼灸技法は、陰陽五行思想と融合し、独特の治療体系を形成していく。

この時代の鍼灸を担った著明な医家としては、史記列伝に名を残す『難経』の著者扁鵲や、三国時代「魏志」に登場する華佗、『鍼灸甲乙経』を編纂(へんさん)した皇甫謐などが居る。

中世[編集]

代から代は医学全般の理論的な整理と内容の充実が図られ、後世金元医学と呼ばれる一つのエポックを形成した。金元医学の中心は主に湯液(生薬方)であり、ここに至り新たな薬方も多く登場した。これはやがて、江戸時代における日本の主流な医学の原型となっていくもので、古代から発展した煩雑な体表面の観察分類法(診断法)はやや簡便化され、実用的に整理されていた。これに対し、元の滑寿のように、「難経などの古い鍼灸書を捨てて、新しい湯液に走るのは薮医者である」『難経本義』とする批判もある。

近代以降[編集]

1822年王朝は宮廷医院内の鍼灸科の廃止を宣言するなど、西洋医学の流入と共に伝統中国医学の衰退が始まる。西欧の植民地化が進む中で多くの文物が散逸し、実際の技術の喪失と相まって、大陸における中国伝統鍼灸はほとんど滅亡の淵に至る。このような状況を受け、中華民国時代、袁世凱伝統中国医学の禁止を打ち出すが、これは反発に遭い実現を免れた。

この頃より、日本においては東亜の盟主としての機運が医学領域でも高まり(皇漢医学)、江戸期に蓄積された伝統医学関連の文物に対する校勘の成果や、それを背景として発展した鍼灸技法が、大陸へ盛んに逆輸出された。

現代[編集]

日本の敗戦後、国民党共産党の内戦を経て、勝利した中共は国威発揚のため、「西洋医師=通常の医師」と対等の「中医師=伝統医学の医師」を規定した。これは西洋文明に対抗し、中華文明の価値を喧伝することを主目的として非常に政治的に作られたもので、全国から「老中医」と呼ばれる伝統医師を招聘し、その玉石混交・多様な技法を、党の権力の元で強引に統合したものであった。つまり、生薬方や鍼灸技法の多様性を切り捨てて、簡便に体系化したものが現在の中国で行われている中医学であり、これには実は数十年の歴史しかない。また、中共がこの中医学を”作成”するに当たって、その原型とした文物や「老中医」の技法には、近代以後日本から逆輸出された日本の鍼灸研究の成果が多く反映されているが、この事実は、現在では日本ですら殆ど知られていない。

その後、米中関係の緊張緩和を受けてニクソン米大統領が訪中した際、中医鍼灸による、鍼のみの鎮痛処置によって麻酔を用いず外科手術をしている風景がメディアに紹介されたことから、70年代、世界的な鍼麻酔ブームが起きた。

*鍼麻酔については、その痛覚閾値を大きく上昇させる効果自体は、機序も研究され明らかとなったが、実際に外科手術などにおける麻酔の手段として鍼麻酔を適用する場合、効果が個々の患者で大きく異なり、活用にはあまりにも不便であったため、その後省みられなくなった。

薬価がかからない鍼灸は、貧しい時代の中国においては非常に有用な医療技術であり、様々な疾病に対して鍼灸が活用されたが、これは、裕福な人々は現代医学に頼り、貧しい人々が中医学に頼る、という構図の出現でもあった。鍼灸研究においては、研究の基盤がないこともあり、戦前戦中に日本で行われた研究の跡をなぞるレベルから脱することはなく、現在に至っている。経済状態が好転した近年においては、中国国内での鍼灸への評価は多様化しているが、鍼灸のニーズが高まっている欧米(特に米国)志向の中医師が多くなり、これに伴いWHOなどを舞台に、鍼灸に対してあからさまな主導権獲得の姿勢が見受けられ、多くの問題を引き起こしている。

最も問題になっているのは、製造過程が不潔な中国製鍼に対してISOを取得し、世界標準規格としようとするものである。現在、欧米においては信頼性の高い日本製鍼がほとんどのシェアを握っているが、これも廉価な中国鍼に駆逐される可能性が高い。不潔な鍼の蔓延により、鍼灸技法自体に対する信頼性を世界的に低下させる事態を招きかねない状況であるが、他の業種でも見られるように、中国の国家を後ろ盾とした強引な働きかけは無視できず、大きな波紋を呼んでいる。

日本[編集]

前近代[編集]

日本では、鍼灸は遣隋使遣唐使の伝来と共に本格的なテキストと技術の伝来がなされたと言われているが、日本書紀允恭天皇記中にも鍼灸に関連する記述が見られ、民間レベルでの技術の伝播は、さらに時代を遡るものと考えられる[3]。 いずれにしても、遣唐使による鍼灸技術の伝播は、単に技術面にとどまらず、医療制度としての鍼灸を日本に模倣させるものとなり、701年制定された大宝律令には、医療を司る中央官職として医博士按摩博士と共に鍼博士が規定された。鍼博士である丹波康頼は、この時期の伝来医書を『医心方』という形で編纂し、現在までその内容が保存されている。医心方は、現在では失われたテキスト(佚書と呼ばれる)が多く含まれるもので、文献学的に大きな価値を有するものである。この時代の日本の鍼法についてであるが、外科的なものや特効穴治療が主体であったとする意見があるが、実際にこの時代の日本鍼灸の技法を総括するのは、現状では簡単ではない。 現代日本で行われる鍼法は、後漢以前に成立した鍼灸の原典である黄帝内経に回帰した「金元医学」の鍼法(経脈経絡)を意識した鍼法)が主体とされており、平安期に、大陸において広く活用された『千金方』や『外台秘要』など、云わば一般向けの「家庭の医学」的なテキストの影響下にある特効穴鍼法とは一見趣を異にするのは事実である。しかし、「難経」などに見える経脈主体の治療も、既に概要は後漢までには整頓され成立している体系であり、平安期におけるその影響を考察するには、まだ時を要するものと言われている。また、日本の平安朝における鍼法の主流が特効穴治療であったという証左も乏しく、この時代の日本鍼灸の実態については、未だ多くが不明と言ってよい。

室町時代から江戸時代に入って日本鍼灸は大きく発展した。『鍼道秘訣集』の御薗夢分斎打鍼術を発明した息子の御薗意斎、『素問諺解』、『難経本義諺解』、『十四経発揮和語抄』など、鍼灸古典に対する注釈が多数なされ、出版された。また、岡本一抱のように優れた臨床家も多数輩出され、日本における鍼灸は内容的に大きな伸展を遂げた。また、江戸期の臨床家でその後の日本鍼灸に巨大な影響を残したのが、杉山和一である。5代将軍徳川綱吉の時代、鍼刺入の為に「外筒(鍼管-しんかん-)」を使用することを発明した杉山和一は、綱吉の治療に当たり、平癒の褒章として下町一つ目に屋敷を賜り、将軍家御医師の地位と、盲人の最高位(検校-けんぎょう)を賜った。また、驚くべきことに、私費を投じて全国40箇所以上に「鍼術教授所」を開設し、日本における鍼灸を、盲人の職掌として確立した。この幕府お墨付きの盲人教育とそのレベルの高さは、ヨーロッパの盲人教育の萌芽と比較しても100年以上早いもので、世界史的な壮挙とされる。いずれにせよ、この後日本においては、鍼灸を盲人が担うという、世界に類を見ない形態の技術伝承技法の発展がなされることになる。

この杉山和一による「外筒(鍼管-しんかん-)」を用いる管鍼法は、現在では一般的技法として、日本の鍼灸の特色をなしている。また、盲人が鍼灸を担うようになったことで、一般的には刺入ポイントを「見て刺す」技法だった鍼灸が、「触って刺す」技法に変化したといわれる。 これは、日本の鍼灸を、同時代の他の東アジア地域における鍼灸から一歩抜きん出させる、技術論的な意義を持つ重要なポイントである。手先の器用な日本人のうちでも、盲人の指頭感覚は非常に鋭敏である。 この鋭敏な感覚を用いて、体表面を「さわり」、刺入のポイントを類型分類し、技法を体系立てて来た江戸期の日本の鍼灸は、「経穴」という、効果の決まったポイントが体表面に元から存在するとする、古来一般的な鍼灸論に対し、「変化の起こっている部位」こそ「経穴」という治療ポイントになり得る、という視点を導入し、今日に続く鍼灸の科学的な解明に道を開いた。

近代[編集]

明治時代になると、近代西洋文化の流入に伴い、明治政府が西洋医学の導入と共に漢方医学の排斥を進めた。鍼灸もその例に漏れず、明治時代から大正時代にかけて鍼灸は衰退をたどった。

大正期に入ると、日本の伝統的医学の復興が叫ばれ、鍼灸・漢方の医学的研究が帝大を中心とした国の研究機関で盛んに行われるようになった。大久保適斎は鍼灸刺激は交感神経を介して心臓に影響が及ぶということを提唱し、三浦謹之助は鍼治についての研究を行い、後藤道雄ヘッド帯を用いての治療を行った。長濱善夫丸山昌郎は鍼の響きによるものと考えた。石川太刀雄皮電点を、中谷義雄良導点を、小野寺直助圧診点を、成田夬助擦診点を、藤田六朗丘疹点を提唱した。また、芹澤勝助は鍼灸師として初めて医学博士を取得した。中山忠直は『漢方医学の新研究』の著書で鍼灸医師法を提案した。

また、鍼灸の技法自体に対する復興運動が昭和初期から起こりはじめた。「古典に還れ」と提唱した柳谷素霊とその元に集まった岡部素道井上恵理本間祥白福島弘道などが所謂経絡治療として体系化した。これらは古典のうちでも特に「難経」を中心に据えた体系で、技法が微妙なため、大陸では古くに滅び去ったものといえる。 他に著名な古典派の流派として、太極療法を考案した澤田健と弟子の代田文誌、江戸時代の本郷正豊著『鍼灸重宝記』の内容を治療法の核としていた八木下勝之助小児はり藤井秀二皮内鍼赤羽幸兵衛、『名家灸選釈義』を著し、深谷灸法を確立した深谷伊三郎、その弟子で『図説深谷灸法』を著した入江靖二、『灸治療概説』を著した根井養智、『鍼の道を尋ねて』の著者馬場白光などが著名であり、現在でも大きな影響力を持っている。

その後、日本は太平洋戦争に敗れ、進駐軍のいわゆる民主化施策が行われるや、鍼灸を「非科学的で医学的根拠がない」という理由から禁止しようとした。京都帝大教授(後・三重大学医学部長)の石川日出鶴丸を中心とした、全国の鍼灸師による鍼灸存続運動が展開されたのはこの時である。石川博士は、

  1. 1940年代の基礎科学の現状では、体性感覚を介した治療的介入技法(鍼灸)の完全な解明など不可能であり、解明されていないことをもって鍼灸が科学的でないとする指摘は当たらないこと
  2. 大日本帝国においては、国家の方針として伝統医学(鍼灸)の研究を国家の機関で行ってきており、これらの成果を推し進めることで、現代医学の発達に寄与すること甚大であること

を強く主張した。また当時、ほとんどの鍼灸師は盲人であり、敗戦直後の日本はこれらの雇用の代替策を準備できる状況ではなかったため、厚生省も按摩、鍼灸の存続に本腰を入れ、 「按摩、鍼灸は正規の医業として存続させる」 「按摩、鍼灸の養成機関を医専(当時)並みに引き上げる」 ことを条件に、進駐軍衛生局に按摩、鍼灸の存続を認めさせた。これを受けて、昭和22年(1947年)12月20日、「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が公布される。

日本における鍼灸[編集]

日本における鍼灸技法の独自性については、①「鍼管」の発明により、より細径の鍼の刺入を可能とし、より軽微な刺激による技法体系に再構築したことと、②江戸期に盲人が技法を担ったことで、大陸で生まれた「見て刺す」鍼灸を「触って刺す」鍼灸に進化させたことの二点に要約できる。手先の鋭敏な日本人が、多様な体表面の反応や変化を捉え、治療に使用できる反応や変化を技術論として再編成したのが日本の鍼灸である。

これは、現在WHOを中心になされている鍼灸の治療点(経穴)をめぐる議論に、一つの重要な指針を示すものと言える。大陸系の鍼灸(中医学)では現在でも「経穴-ツボ-」を、古来伝わる「身体表面の特別な座標」と捉える過ちに陥っているが、これこそ「見て刺す」技術体系の限界であり、それ以上の発展性や他の医療技術との効果的なリンクは望めない。鍼灸が汎用的な医療技術として発展するためには、治療に使用できる刺鍼部位はどのような変化を起こしている点であるのかについて、理論的に整理していく事が重要である。このためには、身体表面の変化を捉えて刺鍼部位を選定する、日本の「触って刺す」鍼灸こそ、行き詰った東洋医学研究のブレークスルーとなると言われている。

鍼灸に関る文献は、日本には、古代~中世にかけて輸入されたが、江戸時代に至り、高度な校勘(こうかん)技術の発展と相まって、中国を含む東アジア各国に、膨大な数の鍼灸書籍や、新たな技術論を逆輸出している。生薬法である漢方についても事情は同様であると言える。維新後の医制の洋式化では、鍼灸・漢方は医療制度上の不遇を囲ったが、民間をはじめ官界でも支持者は多く、帝大医学部においても、世界に先駆けて科学的な鍼灸・漢方研究の萌芽が見られた。このムーブメントは皇漢医学 ― つまり漢代の中国に生まれ、皇国において発達した医学 ― と呼ばれ、中国の中医学を含む現代鍼灸・生薬方のルーツとなっている。

昭和に入り、皇漢医学のムーブメントは、数次の医療法規改正を成し遂げ、昭和19年には帝国議会で「鍼灸医師法」の成立を見るまでに盛り上がったが、敗戦とアメリカの占領政策に伴う医療制度改定により、鍼灸・漢方は再度壊滅状態となり、若干の復旧を経て現在に至る。 現状における一般的な見解は、多様な経験則が技術論として体系化された鍼灸技法の全貌解明には、未だ多くの検討が必要、とするものである。

資格制度の変遷[編集]

  • 明治44年(1911年):内務省令「按摩術、鍼術灸術営業取締規則」制定。
  • 大正9年(1920年):フランスから入ってきたマッサージ術と柔道整復術が按摩営業取締規則の附則に入る。
  • 昭和20年(1945年):敗戦。GHQ(進駐軍)のPHW(進駐軍衛生部)により医業以外の治療行為を全て禁止するように勧告がなされる(いわゆるマッカーサー旋風)。これを受け、厚生省は昭和22年1月の医療制度審議会において以下のように答申。
    1. 按摩・鍼灸・柔道整復は、医業の一部として治療行為を許可する
    2. 按摩・鍼灸・柔道整復は、教育を高度化させ、国家試験を実施する
  • 昭和22年12月(1947年):「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が成立。これにより按摩・鍼灸・柔道整復の免許は、明治以来の営業鑑札(鍼術・灸術営業者)から、国家資格の身分免許となる(※ただし、営業免許ではない(国家資格の身分免許)であることを明確にさせた方が良いと、昭和26年4月に「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法」に名称変更される)。
  • 昭和30年(1955年):「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法」の「あん摩」が、「あん摩(マッサージ、指圧を含む)」と変更。
  • 昭和53年(1978年):鍼灸を専攻する初の3年制短期大学設置(明治鍼灸短期大学)。
  • 昭和58年(1983年):鍼灸を専攻する初の4年制大学設置(明治鍼灸大学)。(明治鍼灸短期大学が大学に昇格したもの)
  • 昭和62年(1987年):国立初の鍼灸学科を擁する3年制短期大学設置(筑波技術短期大学鍼灸学科)。
  • 昭和63年(1988年):「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律」の改正により、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師及び柔道整復師に関わる試験の実施と登録事務が、都道府県知事から厚生大臣に変更(平成4年10月施行)。
  • 平成3年(1991年):鍼灸関連の大学院修士課程が初めて設置(明治鍼灸大学)。
  • 平成6年(1994年):鍼灸関連の大学院博士課程が初めて設置(明治鍼灸大学)。
  • 平成16年(2005年):国立初の鍼灸学科を擁する4年制大学設置(筑波技術大学鍼灸学科)。(筑波技術短期大学が大学に昇格したもの)

資格制度の現状[編集]

現在、医師以外の者が鍼を行う為には「はり師」、灸を行うには「きゆう師」の国家資格が必要である[* 2]鍼灸養成施設(鍼灸専門学校・視覚特別支援学校理療科・大学鍼灸科)で単位を取得することで、この二種類の免許を受験できる。一部の古参の私立専門学校には、「本科」として「はり師」「きゆう師」に加えて「あんま、マッサージ、指圧師」の免許も加えた三種類の免許を受験できる課程が置かれているが、定員数が少なく現在でも10倍程度の入学倍率がある。 多くの私立専門学校卒業者および全ての私立大学鍼灸科卒業者は、はり師きゆう師二種のみを取得できる。

あんま、マッサージ、指圧師」免許については、この取得を専門とする課程(あんま、マッサージ、指圧専門学校および視覚特別支援学校保健理療科)が存在する。視覚特別支援学校保健理療科は一般的な盲学校課程である。つまり、ほとんどの視覚障害者は「あんま、マッサージ、指圧師」免許を取得する。しかしながら、晴眼者が「あんま、マッサージ、指圧師」免許を取得するためには、前掲の古参の専門学校「本科」に入学するか、「あんま、マッサージ、指圧専門学校」に入学しなければならない為、晴眼者の「はり師・きゆう師・あんま、マッサージ、指圧師」三種免許者(三療師)は非常に少ない。

「あはき法」を厳密に適用する場合、はり師きゆう師のみの資格でマッサージ業を行うことは、無免許整体師や柔道整復師がマッサージを行うのと同様の違法行為となる。しかしながら、鍼灸施術には施術領野に対するあんま的手技が必須のものでもあり、実際には「はり師」「きゆう師」のみの免許者があんま的手技を行っており、現状を反映した法制度の改善が求められている。

また鍼灸免許者は、歴史的に戦後のある時期まではほとんどが視覚障害者(盲学校出身者)であったが、現在では全国的な視覚障害者の減少(盲学校入学者の激減)と相まって、晴眼者(非視覚障害者)の免許者が圧倒的に増加している。 鍼灸師養成施設についても、近年の規制緩和以前までは、鍼灸按摩養成機関の新規認可は非常に難しく、国家試験受験者数が適正に制限されていたが、規制緩和以後、インフラに金がかからない鍼灸学校の「無秩序な」新設が相次ぎ、年度毎の卒業者数は以前(平成10年)の数倍に膨れ上がっており、需給関係は完全に崩壊している。

このなかで、あん摩マッサージ指圧師(あまし師)の養成学校のみは、視覚障害者職域保護の為として新設校の認可が為されず、辛うじて適正な免許者の数が保たれているが、前述の様に「あんま、マッサージ、指圧師」の免許自体が有名無実化しており、鍼灸按摩の資格者数の適正化には、現在全く目処が立っていない。

また、鍼灸診療の健康保険適用は、「療養費」(鍼灸院など、保険医療機関以外の医療機関で医療行為を受けた場合の一時的措置)として認められるものであり、点数化されていない。このため、保健医療機関内では通常の「療養」としての保健請求はできず、多くのケースで実費診療となる。このため、混合診療との批判に当たらないよう、対応が必要である。

鍼灸の保険適用についての問題点[編集]

鍼灸治療は保険点数化された「療養」とは規定されていないため、健康保険を適用する場合、「療養費」として請求する。「療養費」とは、保険医療機関における保険点数化された「療養」以外の治療を保険医療機関以外の医療施設(鍼灸院、接骨院など)で受けた場合、その治療費を保険者に請求できる制度であり、患者本人の負担率は保険医療機関において、通常の療養を受給した場合と同様である。しかしながら、その支給については、点数化された「療養」の支給は保険者の義務であるが、「療養費」の支払いは保険者の義務ではなく、それを支給するか否かは各保険者の裁量に任される。 療養費の請求は、本来は治療費をいったん全額負担した患者本人が保険者に請求を行なう制度(償還払い)であるが、患者本人に非常に煩雑な手続きを強いることになるため、慣例として「受領委任払い」という支払い形式が取られている。これは治療院などが患者の療養費請求を代行できる制度で、「鍼灸院」、「整骨院(接骨院)」が主にこれを行なっている。

この受領委任払いについて、「鍼灸院」における療養費請求には、「慣例」として医師による同意書の添付が定着している。これは法令で定められた規定ではないが、保険者によっては、「鍼灸院」という保険医療機関以外の医療施設からの請求に対して不信感を示す場合があるため、、現在では医師による「同意書」の添付が慣例化している。これは治療の対価を支払う保険者が、鍼灸マッサージ師の請求内容(診断技術)に対して信頼を置いていないためになされてきた慣例で、鍼灸社団が保険者との信頼醸成に失敗してきた歴史をそのまま反映するものである。本来鍼灸マッサージ師は、職掌として患者の臨床症状に対する判断は認められており、受領委任払いに関する請求に医師による同意書を添付する法的な根拠はない。

しかし、この問題が複雑であるのは、法制度上も、社会的な通念やイメージとしても「鍼灸院」とほぼ同様の存在である「接骨院(柔道整復業)」では、「医師の同意書不要」での療養費受領委任払いが慣例化している点である。これは、整形外科の絶対数が少なかった終戦後のある時期まで、接骨院(整骨院)が、整形外科の代替として実際に一部の急性外傷(四肢の骨折・打撲・捻挫など)に対する医療を担っていた状況があったため、この現実を加味して、接骨院における急性外傷に対する受領委任払いを認めるよう、厚生省が関連する省令や通達などで保険者に周知して来た事が基盤となっている。

急性外傷に対応するための整形外科の代替として、整骨院の保険治療に保険医療機関と同様の利便性を持たせて患者に提供したことは、当時の医療を取り巻く状況をよく反映した施策であった。しかしながら、現在では保健医療機関(病院・医院・クリニック)自体が乱立しており、急性外傷の患者がわざわざ「接骨院」に来るケースは、ほとんど考えられない。このため、接骨院が行っている療養費請求の内容については整合性が疑われる場面が多々あり、見直しが必要ではないかとの意見も多くある[4]。しかし現状では、「接骨院」における受領委任払いによる療養費請求が「医師の同意書不要」である事は既得権として守られており、しかもほとんどの請求が通る(柔道整復療養費;約4,000億円/年)[5]

つまり、いわば親戚業種である「接骨院」が、整合性を疑われる形で強引に療養費活用をしているため[6][7]、これと同一視される「鍼灸院」の療養費活用や新たな働きかけ(同意書撤廃など)が、様々な場面で不当に抑制されるという皮肉な現状がある(鍼灸療養費;約200億円/年)。

表向き、厚生労働省が鍼灸保険の同意書撤廃を「困難」としている理由は、以下である。

  1. 鍼灸の対象疾患は外傷性の疾患ではなく発生原因が不明確
  2. 鍼灸治療は“治療と疲労回復等”との境界が明確でない
  3. 鍼灸治療は施術の手段・方式が明確でない
  4. 鍼灸治療は成績判定基準が明確でなく客観的な治療効果の判定が困難

しかしながら、鍼灸療養費の支給基準が数十年に亘り、法律ではなくその時々のこの様な通達により決定されていること自体が、支給に対する整合性を失わせる原因ともなっている。[* 3][* 4]、早期の法律化が待たれる。

これらの問題の根底にある最大の問題として指摘されているのは、日本の鍼灸医療が正規の医療として「保険点数化されていない事」である。医院や病院の場合、「保険医療機関」の指定を受けて初めて保険請求が可能になる。これによって厚労省のコントロールや指導が効くわけであるが、鍼灸院・接骨院の場合、「療養費」の取り扱いにはこのような国の指定が必要ない(保険医療機関の指定が「無い」事こそが、療養費申請出来る資格である)。このため、「療養費」という制度は、構造的に厚労省がなんら実効性のある指導が行えない制度で、一般国民にとっても、あまり拡大させたくない制度といえる。接骨院による整合性の不確かな療養費請求が年間4,000億にふくれ上っても、厚労省は有効な改善策を打てずにいる(*接骨院における柔道整復業に対する療養費請求の問題点については「療養費の不正請求#柔道整復」の項参照)。

この様に多くの問題点を孕みながらも、「鍼灸」に関する療養費については、実に半世紀の間、各個鍼灸院の「良識」によって適正な運用がなされてきたとの評価がある。しかしながら一方で、トラブルが無かったのは、鍼灸療養費の規模が小さかった事が主要因であるとの指摘も見逃せない。近年の世界的な鍼灸評価の上昇に伴って、今後鍼灸の臨床活用が増大することが予測されており、実情を反映した鍼灸の保険適用に関する法整備(鍼灸の保険点数化と鍼灸院に対する保険医療機関としての認定)が急務と言われている。

鍼灸師マッサージ師差別国家賠償等請求事件[編集]

2000年、全国保険鍼灸師マッサージ師連合会は健康保険療養費について、柔道整復師に認められている受領委任払いが、鍼灸マッサージに認められていないのは差別であるとして国家賠償請求を起こした。千葉地裁は棄却判決を出し、原告は控訴。東京高裁は棄却判決を出した。

判決では「療養費支給は制度自体が例外的なものであり積極的に容認されるものではない」「柔道整復師に認められているという点だけでは要件たり得ない」「現在も柔道整復師に認める点は疑問がないわけではないが、歴史的事情もあり合理性がないとは言い切れない」と判断された。

第2 事案の概要
ア 原告らの主張  厚生労働省は,柔道整復師については受領委任払いを認めながら,あん摩マッサージ指圧師等についてはこれを認めないという差別的な取扱いをし,これにより,あん摩マッサージ指圧師等を利用した患者は,一旦全額を支払い,その後自ら療養費を請求するという煩瑣かつ負担のある手続が強要されているが,このような取扱いには何ら合理的な根拠がない。(中略)


第3 当裁判所の判断
健康保険制度は、療養に関する費用を後払いとした場合には被保険者が一時医師に支払う費用を立て替える必要が生じるため迅速な医療を受けることができない可能性があることなどから,現物給付を原則としているものと解される。

(中略) 健康保険法87条に基づく療養費の支給については,保険者は,療養の給付を行うことが困難であると認めるとき,又は保険医療機関以外の者から診察,手当等を受けたことがやむを得ないと認めるときは,現にその費用を事後的に療養費として支給できることとされており,療養費の支給自体が療養の給付の補完的な役割を果たすものと一角解される。そして,療養費については,健康保険法86条3項に規定される特定療養費,85条5項に規定される入院時食事療養費等とは異なり,現物給付化(保険者が被保険者に代わり医療機関等に支払うこと)を可能とする規定が設けられていない。また,療養の給付を担う保険医療機関等については,その指導監督を含む上記の厳格な指導監督を実施しているのに対し,保険医療機関等以外の者については,そのような指導監督等の手段が用意されておらず,保険医療機関等以外の者が行う療養の給付については,その適正な給付を担保する手段も用意されていない。すなわち,健康保険法上,療養費の支給自体が例外として設けられているとともに,療養費の支給を療養の給付のように現物給付化することは,健康保険法の予定していないものと解される。

(中略)また,受領委任払いは,保険者において施術の内容や額等につき被保険者から確認することができないまま施術者より請求がなされることから,不正請求や業務範囲を逸脱した施術を見逃す危険性が大きいといわざるを得ない。そうすると,受領委任払いは,健康保険法上,積極的に容認されているとはいえず,受領委任払いの取扱いが認められるのはあくまでも特例的な措置といわなければならない。

(中略)したがって,本件取扱いが合理性を有するか否かの判断は,上記前提の下にされるべきであって,単に,柔道整復師に認められているものが,現在あん摩マッサージ指圧師等に認められないことに合理性があるかというだけでは足りないというべきである。
そこで、このような観点から検討する。上記イ(イ)の事実関係の下において,本件取扱いは,かつては合理性を有していたとしても,その後,整形外科医が増加していることなどがうかがわれる(甲A13)現在,果たしてその合理性があるかについては疑義がないではない。しかしながら,上記のとおり受領委任払いは特例的措置であるから拡大しない方向で実施ないし運用するのが相当である上,柔道整復師については,正当な理由があって受領委任払いが認められ,それが長年にわたって継続されてきたという事実があり,限定的とはいえ医師の代替的な機能を果たしていること等を考慮すると,合理性がないとまではいえない。

(中略)また,健康保険制度は,被保険者及びその被扶養者の生活の安定を図るための制度であって,施術者の利益を保護するためのものではない

平成12年(ワ)第112号 損害賠償等請求事件 (千葉地方裁判所 民事第三部 2004-01-16). Text

脚注[編集]

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  1. ^ WHO(世界保健機関)において鍼灸療法の適応とされた疾患
    • 神経系疾患
      • ◎神経痛・神経麻痺・痙攣・脳卒中後遺症・自律神経失調症・頭痛・めまい・不眠・神経症・ノイローゼ・ヒステリー
    • 運動器系疾患
      • 関節炎・◎リウマチ・◎頚肩腕症候群・◎頚椎捻挫後遺症・◎五十肩・腱鞘炎・◎腰痛・外傷の後遺症(骨折、打撲、むちうち、捻挫)
    • 循環器系疾患
      • 心臓神経症・動脈硬化症・高血圧低血圧症・動悸・息切れ
    • 呼吸器系疾患
      • 気管支炎・喘息・風邪および予防
    • 消化器系疾患
      • 胃腸病(胃炎、消化不良、胃下垂、胃酸過多、下痢、便秘)・胆嚢炎・肝機能障害・肝炎・胃十二指腸潰瘍・痔疾
    • 代謝内分泌系疾患
      • バセドウ氏病・糖尿病・痛風・脚気・貧血
    • 生殖、泌尿器系疾患
      • 膀胱炎・尿道炎・性機能障害・尿閉・腎炎・前立腺肥大・陰萎
    • 婦人科系疾患
      • 更年期障害・乳腺炎・白帯下・生理痛・月経不順・冷え性・血の道・不妊
    • 耳鼻咽喉科系疾患
      • 中耳炎・耳鳴・難聴・メニエル氏病・鼻出血・鼻炎・ちくのう・咽喉頭炎・へんとう炎
    • 眼科系疾患
      • 眼精疲労・仮性近視・結膜炎・疲れ目・かすみ目・ものもらい
    • 小児科疾患
      • 小児神経症(夜泣き、かんむし、夜驚、消化不良、偏食、食欲不振、不眠)・小児喘息・アレルギー性湿疹・耳下腺炎・夜尿症・虚弱体質の改善
  2. ^  医師は業務として鍼灸を行うことが可能であるが、現在、医学部教育において鍼灸の科目を置く大学はほとんど無く、鍼灸臨床を行うために必要なトレーニングの内容や時間数など法制度の整備もなされていないため、実際には鍼灸を行う医師数は非常に限られる。また、技術の習得についても、個々の医師の裁量に任されている状態である。
  3. ^ 例えば、過去の通達には、療養費支給基準として「医師による適当な治療手段のないもの」としたものがある。しかし現実問題として、「現代医療で適当な治療法が無く鍼灸のみが適応する疾患」があると考える方が無理がある。そもそも、他の厚労省通達で鍼灸の適応として原則認められることになっている6疾患等(①神経痛 ②リウマチ ③頚腕症候群 ④五十肩 ⑤腰痛症 ⑥頚椎捻挫後遺症 )は、全て医師による適当な治療手段があるものである。 また、実際の療養費活用に当たってよく生じるケースとして、併給禁止の問題があるが(例えば腰痛で整形外科を受診している患者が鍼灸院に通い「腰痛」で療養費申請した場合、「療養」と「療養費」の併給として不可とされる)、どちらにしろ「併給」が問題になる時点で、前述の「医師による適当な治療手段のないもの」に対して鍼灸療養費を支給するという通達は意味を為していない。
  4. ^ つまり、数十年に亘る厚労省の通達をつなぎ合せて活用されている療養費は、支給基準が場当たり的で様々な場面で問題を生じており

出典[編集]

参考文献[編集]

【1】私は如何にして東洋医になりしか、2012年8月18日(土)放送
【2】東洋医学の大いなる未来、2012年8月25日(土)放送

関連項目[編集]

関連団体[編集]

外部リンク[編集]