鍵田忠三郎
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鍵田 忠三郎(かぎた ちゅうざぶろう、1922年7月25日 - 1994年10月26日)は、日本の政治家。奈良市長、自由民主党衆議院議員(1期)。地震雲の研究者。剣道家でもあり、奈良県剣道連盟会長、奈良県なぎなた連盟会長も務めた。奈良県奈良市生まれ。鍵田忠兵衛は次男。
略歴[編集]
年譜形式の経歴は推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2015年11月) |
- 1943年(昭和18年)、拓殖大学専門部卒業
- 1967年(昭和42年)、奈良市長就任(-1980年)
- 1980年(昭和55年)、奈良県知事選挙に立候補するが落選。
- 1983年(昭和58年)、第37回衆議院議員総選挙に無所属で出馬、初当選。自由民主党に所属する。
- 1986年(昭和61年)、第38回衆議院議員総選挙に落選。
- 1990年(平成2年)、第39回衆議院議員総選挙に落選。
- 1994年(平成6年)、72歳で死去。
奈良市長時代の実績[編集]
エピソード[編集]
- 1960年(昭和35年)、第二次世界大戦の敗戦の日である8月15日に慰霊する為、奈良東山の高円山に奈良大文字を創始する。高円山(462m)と京都の大文字如意ヶ岳(470m)がほぼ同じ高さであるという事と、両方とも弘法大師と深い関わりのある地であり深い因縁で結ばれている。
- 奈良市長在任中の1967年(昭和42年)、右翼に襲撃され打撲傷を負ったことがある。この事件について次男・忠兵衛は、2007年4月24日の衆議院総務委員会で、「うちのおやじが市長になって三カ月後に右翼団体の暴漢に襲われたことがありました。これも、事もあろうに市役所の中で木刀を持って階段の上から襲ってきた。」と振り返った。
著書[編集]
- 『これが地震雲だ-雲はウソをつかない』、中日新聞本社、1980年
- 『道を行じて-奈良市長14年の歩み-』、協同出版、1982年
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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