少林寺流空手道錬心舘

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少林寺流空手道錬心舘
しょうりんじりゅうからてどうれんしんかん
別名 錬心舘
競技形式 型、防具付き空手
発生国 日本の旗 日本
発生年 1955年
創始者 保勇
源流 琉球空手
流派 少林寺流空手道錬心舘
公式サイト 少林寺流錬心舘公式ホームページ
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少林寺流空手道錬心舘(しょうりんじりゅうからてどうれんしんかん)は鹿児島県に総本山を置く空手道の流派及び空手団体。空手道の流派の分類としては伝統派空手に分類される。

略称としては「少林寺流」や「錬心舘」とも呼称される。

概要[編集]

流名は1955年(昭和30年)に島袋善良(沖縄)、仲里常延(沖縄)、保勇(鹿児島)の三名が合意の下、空手道の源流は中国少林寺であるとのことから、喜屋武朝徳の道統を「少林寺流」と命名した[1][1]。 島袋善良は当初、少林寺流であったが、その後、中部少林流「聖武館」となり、仲里常延は少林寺流「求道館」と道場名を名乗り、本項目の「錬心舘」は1955年(昭和30年)11月8日に鹿児島県鹿児島市高麗町に初代宗家保勇が「少林寺流空手研究会錬心館(現在の錬心舘)」として設立したもの[2]である。

海外においては貧困国にも第二代宗家保巖が訪れて空手の指導を行うとともに、学校建設等の社会貢献活動を行っていた。

初代宗家保勇十段範士が現役の時代は全日本空手道連盟(旧)から脱退後は他流派との交わりを禁止しており、現在も一流一派を継承している。2000年(平成12年)5月31日に初代宗家保勇が死去して第二代宗家を保巖が襲名したが、2016年(平成28年)11月29日に保巖の死去(享年69歳)にともない、第三代宗家は保勇三が襲名した[2]。総本山は鹿児島県日置市伊集院町下谷口にある。

支部は、国内外に約1000支部所在する。海外では中華民国台湾)に6支部、アメリカ合衆国に30支部、フィリピンに3支部、インドネシアに15支部、プエルトリコに10支部、ドミニカ共和国に150支部、フィンランドに8支部ありその他にイギリススウェーデンロシア連邦メキシコブラジルパナマなどに所在している[3]。 発行する一門の機関紙は『拳友時報』である[3]

沿革[編集]

  • 1955年(昭和30年)11月8日 - 初代宗家保勇鹿児島市高麗町少林寺流空手研究会錬心館道場(後の「道統少林寺流空手道錬心舘」)を開設する。
  • 1960年(昭和35年)1月 - 全日本空手道連盟(旧)理事の初代宗家保勇が沖縄を訪問。沖縄地区特別本部結成にあたり、その仲立ちを務め連盟中央本部より表彰される。
  • 1962年(昭和37年)5月 - 錬心舘一門の機関紙「拳友時報」を創刊。
  • 1962年(昭和37年)7月 - 鹿児島県空手道連盟を結成。第1回鹿児島県空手道選手権大会を開催。
  • 1963年(昭和38年)7月 - 鹿児島県日置市伊集院町下谷口拳士ヶ丘に総本山を開山。
  • 1963年(昭和38年)10月 - 西日本空手道連盟を結成し会長に就任。
  • 1964年(昭和39年)9月 - 全国空手界に先がけ、鹿児島県空手道連盟を県体育協会に加盟。
  • 1964年(昭和39年)12月 - 総本山拳士ヶ丘に物故拳士を慰霊する「拳士の塔」が建立される。
  • 1965年(昭和40年)12月 - 初代宗家保勇が当時は「竹のカーテン」といわれ、日本と国交がなかった(「日中国交正常化」は1972年中華人民共和国中国武術界から招聘を受けて、戦後、武道家として初めて中国を訪問。約40日間にわたり広州、長沙、北京、西安、延安、杭州、上海において日本空手道を公開するとともに中国武術界の最高峰、王子平をはじめ全国武術総会副主席の張文広との会見など中国武術各派と交流。この時は錬心舘師範の池亀虎夫や、後に錬心舘から独立した池田奉秀(「常心門」綜師範)の2名も随行した。[4]
  • 1967年(昭和42年)8月 - 第1回少林寺流全国空手道選手権大会を鹿児島市にて開催。
  • 1968年(昭和43年)10月27日 - 国民体育大会への参加をめざして、各流各派が参加した第1回全国都道府県空手道選手権大会(主催:全国都道府県空手道連盟、主管:群馬県空手道連盟、後援:全日本空手道連盟・会長笹川良一)が群馬県前橋市県スポーツセンターで開催され、少林寺流錬心舘・保勇を団長とする鹿児島県空手道連盟選手団が防具の部で優勝、無防具の部で準優勝[5]
  • 1987年(昭和62年)10月 - 新しく開発した軽量防具を統一公式防具に指定。
  • 2000年(平成12年)5月31日 - 初代宗家保勇が死去[6][7]。同年、長男の保巖が第二代宗家を襲名。
  • 2005年(平成17年)7月 - 第1回国際親善大会を開催(鹿児島アリーナ)。
  • 2010年(平成22年)8月 - 第2回国際親善大会を開催(鹿児島アリーナ)。
  • 2015年(平成27年)8月 - 第3回国際親善大会を開催 (台湾台中市中興大学体育館)。
  • 2016年(平成28年)11月29日 - 第二代宗家保巖が逝去
  • 2017年(平成29年)2月 - 第三代宗家に保勇三が就任
  • 2017年(平成29年)2月 ‐ 一般社団法人全日本少林寺流空手道連盟設立
  • 2019年(令和元年)4月 - 保勇開祖生誕百年記念 足跡を辿る奄美大島-沖縄県ツアー開催。開祖と親交があった沖縄拳法空手界重鎮との交流も実現。
  • 2020年(令和2年)12月 - 現・宗家が全国大会にて長年演じてきた少林金剛杖術(方円流杖術)の基本(役行者初伝)を師範研修会で初指導、幅広い世代への普及発展を促す。
  • 2023年(令和5年)5月5日 - 錬心舘と一般社団法人全日本少林寺流空手道連盟決別[要出典] 同5月21日錬心舘総本山事務所より法人所有の帳簿、金庫、通帳、現金、事務機器一式、ホームページiDを引き揚げる なお日置市の総本山は現在3代目宗家の個人保有
  • https://renshinkan-karatedo.localinfo.jp/pages/7443001/static
  • 2023年(令和5年)7月30日に法人が東広島市運動公園アクアパークにて第51回全国大会を、11月3日に錬心舘が沖縄空手会館にて第51回全国大会兼故・本間貴文沖縄県本部長追悼大会を開催。
  • 2023年(令和5年)11月 - 法人が商標登録上の所在地を小松原に変更。呼称を一般社団法人全日本少林寺流空手道連盟錬心舘に改称
  • 2023年(令和5年)12月10日 - 第1回棒術競技会を開催。(錬心舘総本山)。

歴代宗家[編集]

氏名 在任期間 段位・称号
保 勇(たもつ いさむ) 少林寺守門 1955年(昭和30年)11月8日 - 2000年(平成12年)5月31日 十段範士
2 保 巖(たもつ いわお) 少林寺守正 2000年(平成12年)5月31日 - 2016年(平成28年)11月29日 十段範士
3 保勇三(たもつ ゆうぞう) 少林寺守清  2016年(平成28年)11月29日 - 十段範士

テーマ[編集]

第二代宗家保巖が書道、絵画、写真など芸術方面にも広い親しみを見せることもあり、流派創立50周年を数える2010年平成22年)から2016年平成28年)まで墨書による自筆にて流派のテーマとなる漢字一文字を発表した。

  • 2010年(平成22年) - 「絆」
  • 2011年(平成23年) - 「志」
  • 2012年(平成24年) - 「心」
  • 2013年(平成25年) - 「誠」
  • 2014年(平成26年) - 「義」
  • 2015年(平成27年) - 「和」
  • 2016年(平成28年) - 「礎」

[編集]

錬心舘では他の空手道で呼称されている「形」ではなく「型」と呼称しており、少林寺流正流七法と呼ばれる以下の七つの型を修行する[8]

  • 南光(アーナンクー
  • 汪輯(ワンシュウ)
  • 半月(セイサン)
  • 鎮東(チントウ
  • 五十四歩(ゴジュウシホ)
  • 抜塞(バッサイ)
  • 公相君(クーシャンクー)

試合[編集]

2004年の鹿児島市少年空手道大会の様子。審判員は袴姿である
錬心舘で使用される指定防具。防具付き空手の中では最も古いタイプである。
左より面、胴、小手。

試合は型による試合と、組手による試合がある。高校生以上で少年初段を除く有段者以外の者は規則により組手の試合に出場することができない。保勇は旧来の沖縄の型至上主義を打破し、試合化を促進したが、一方で組手偏重を戒め、終生、型の重要性を説いてやまなかった。

試合においては審判員は一般的な空手団体と異なり、日本発祥の武道という立場から、洋装ではなく袴姿で行われる。なお審判団は副審4名、主審1名で判定が行われ、副審の判定が2対2で割れた場合主審判定により勝敗が決まる。

組手[編集]

錬心舘は、一貫して防具着用の組手を実施している。これは人命尊重の見地からであり保勇の「自他を傷つけて何の武道ぞ」の基本理念による。空手防具はかつて既製品を自由に使っていたが、全日本空手道連盟錬武会などで広く使われていたカラテクターや自衛隊徒手格闘術警察逮捕術で使われている防具を改良して、錬心舘独自の指定防具を採用しており、見た目は剣道の防具によく似ている。

錬心舘は青少年の健全育成の立場から成長期の組手は有害であるとし、中学生までは型や約束組手の稽古のみを行い、大会でも型試合のみ行う。高校生になって初めて組手の試合が許可されるが、型の名手は組手の名手と言われるように、型での上位者は組手でも優秀な成績を上げる選手が多い。組手スタイルは伝統派に近いが、初代宗家の保勇が編み出した後ろ回し蹴り連続回し蹴り二段回転蹴り逆風足刀蹴り[4]足刀くの字飛び螺旋(らせん)手刀打ち半飛び足刀蹴りなど[9][10][5][6]は他流派に比べると錬心舘独特の組手技術であり、変則的な構えから突き、蹴り、打ちの双方に遠心力を利用した回転技、飛び技[7]が多用されることが特徴である。

級段位・色帯・称号[編集]

錬心舘は昇級・昇段試験で昇級・昇段を許可されると以下のように色帯及び級・段位及び称号が変わる。基本的に1色で2級ずつとなっており、初段(中学生以下の場合は少年初段)以上は全て黒帯となっている。

段級位 帯の色 称号
十段 範士
九段
八段
七段 教士
六段
五段 錬士
四段
三段
弐段
初段
少年初段[11]
一級
二級
三級
四級
五級
六級
七級
八級
入門者

脚注[編集]

  1. ^ 『公開!沖縄空手の真実』(2009/6発行 フルコム[編] 東邦出版)30頁
  2. ^ 陣容新たに一一錬心舘新体制発足す - 少林寺流空手道連盟錬心舘公式ウェブサイト、2017年2月11日閲覧。
  3. ^ 錬心館紹介より引用
  4. ^ 『古流現代空手道集義(第二巻)』(昭和53年10月25日発行 池田奉秀・著 武道出版研究所)「中国武術見聞の記」140-145頁
  5. ^ 「第一回全国都道府県空手道選手権大会」(主催・全国都道府県空手道連盟)”. 「まるふじ文庫」の収集武道書. 「まるふじ文庫」の収集武道書. 2019年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月27日閲覧。
  6. ^ 『月刊空手道 2001/4月号』(福昌堂・発行)「【THE PEOPLE】拳聖・保勇の生涯と少林寺流錬心舘」61-71頁
  7. ^ 『沖縄空手古武道事典』(2008年8月1日発行 柏書房)459-461頁
  8. ^ 少林寺流 錬心舘ホームページ/入門2 - 全日本少林寺流空手道連盟錬心舘HP 2011年2月15日閲覧。
  9. ^ 『徒手空拳 - 人間・保勇』148頁
  10. ^ 『月刊空手道 1996/10月号』(福昌堂・発行)「特集・変化自在の必倒テクニック 足技の魔術」25-29頁
  11. ^ 中学生以下が取得できる最高位。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

以下、一般社団法人全日本少林寺流空手道連盟錬心舘 所属団体一覧