鈴木重則

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鈴木 重則(すずき しげのり、天文16年(1547年)- 天正17年(1589年))は戦国時代の武将。主水。真田氏家臣。鈴木忠重の父。

天正17年(1589年)に真田氏後北条氏の間で領土争いが起こったが、この場は豊臣秀吉の仲裁によって収まった。

しかし、和議を反故にして謀略を仕掛けてきた北条家臣の猪俣邦憲によって、自身が守る上野国名胡桃城を奪われてしまった。重則は城を奪われた自分のふがいなさを恥じ、正覚寺で自害して果てた。この事件を機に豊臣秀吉は小田原征伐へと動いて行った。

なお、切腹時は通常座ってするのが普通であるが、重則は、立腹といい、立ったまま切腹をした忠義の武士であったという記録が沼田市正覚寺に残っている。