鈴木達治

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鈴木 達治(すずき たつじ、1871年9月11日 - 1961年8月29日)は科学者・教育者愛媛県出身。号は煙洲。

生涯[編集]

愛媛県四国中央市下柏町に鈴木家の長男として生まれる。鈴木家は農家であったが、家族の他に下人が5人いる自作地主であった。

隣村の塾(後の松柏小学校)の校長に同志社で英語を学ぶよう勧められ、最初は同志社英学校、次に同志社理科大学へと進み七年間京都で学生生活を過ごす。

同志社普通学校から同志社ハリス理化学校に進む。同校の第1期生で最初の卒業生となった。東京帝国大学理科大学卒業。第二高等学校広島高等師範学校、東京高等工業学校(現・東京工業大学)教授などを歴任し、1920年(大正9年)、横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)初代校長に就任。三無主義教育(無試験、無採点、無賞罰)を実施した。

横浜国立大学工学部構内には、鈴木を記念した名教自然碑が建立されている[1]

脚注[編集]

  1. ^ 名教自然の碑 【 登録有形文化財(建造物)】 - 横浜国立大学施設部