鈴木光愛

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鈴木光愛

鈴木 光愛(すずき こうあい、慶応3年12月20日1868年1月14日) - 昭和5年(1930年4月9日[1])は、日本教育者

経歴[編集]

岡山藩士島村円造の二男として生まれ、鈴木光輝の養子となった。岡山中学校を経て、1889年(明治22年)に高等師範学校を卒業した。同訓導、女子高等師範学校助教諭、同助教授、東京府師範学校教諭・附属小学校主事を歴任した。1897年(明治30年)、台湾総督府国語学校教授となり、1899年(明治33年)に東京府師範学校首席教諭に戻った。1900年(明治33年)、栃木県師範学校校長に就任し、1906年(明治36年)に京都府師範学校校長に転じた。1909年(明治42年)からは東京府女子師範学校校長・東京府立第二高等女学校を務めた。

著作[編集]

  • 『学校管理法』(文学社、1901年)
  • 『新撰 教育学綱要』(六盟館、1902年)
  • 『新撰 学校管理法』(宝文館、1907年)

脚注[編集]

  1. ^ 死亡広告」『東京朝日新聞』第15785号、1930年4月15日、5面。

参考文献[編集]

  • 『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
公職
先代:
林吾一
東京府女子師範学校長
1909年 - 1920年
次代:
高橋清一
先代:
校長事務取扱
林吾一
東京府立第二高等女学校
1914年 - 1920年
校長事務取扱
1909年 - 1914年
次代:
高橋清一
先代:
柴崎鉄吉
京都府師範学校長
1906年 - 1909年
次代:
堀義太郎
先代:
林吾一
栃木県師範学校長
1900年 - 1906年
次代:
安達常正