金谷晴夫

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金谷 晴夫(かなたに はるお、1930年2月3日 - 1984年2月13日)は、日本の発生生物学者。

来歴[編集]

兵庫県生まれ。甲南高等学校 (旧制)を経て東京大学理学部卒業。1961「プラナリアの極性に関する実験的研究 」で東京大学より理学博士の学位を取得。

東京大学海洋研究所助教授、岡崎国立共同研究機構分子科学研究所教授を経て、1983年4月、基礎生物学研究所所長に就任[1]

ヒトデを材料とした研究で新ホルモンの存在を発見したり、生殖の内分泌機構を解明した。1970年、ローマ教皇庁科学アカデミーよりピウス11世メダル受賞。1983年文化功労者中日文化賞(多細胞動物の卵成熟機構の研究)を受賞[2]

1984年2月13日、死去[3]

姉の平岡芳江は「IA Prep School 平岡」(旧称:平岡塾)の開塾者で初代塾長。

脚注[編集]