金田一勝定

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金田一 勝定(きんだいち かつさだ、1848年3月16日弘化5年2月12日) - 1920年大正9年)12月31日)は、日本実業家和算家

人物[編集]

陸奥国岩手郡仁王村四ツ家町(現・岩手県盛岡市本町通二丁目)出身。金田一伊右衛門の子。金田一京助は勝定の妹やすの子。金田一國士の養父。

1868年慶応4年)、戊辰戦争鹿角口の戦いに従軍して足を負傷。明治から大正初期の岩手県内実業界で盛岡銀行頭取、盛岡電気株式会社、岩手軽便鉄道株式会社など多くの企業を創立して社長となり、金田一財閥と呼ばれるまでに成長させ、県会議員、盛岡市会議員を務めた。勝定は幼少より学問を好み、盛岡和算に通じた最後の人で、和算書の収集に努力し、多大な費用をかけて和算家の阿部家、鬼柳家の蔵書を購入し、1912年(明治45年)、松原正固の蔵書とともに東北大学に寄贈した。著書に『算法自問集』『算学漫筆』『算学矩合集』などがある。

関連文献[編集]

  • 岩手県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会『岩手県姓氏歴史人物大辞典』角川書店、1998年


関連項目[編集]

外部リンク[編集]