金炯一

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金炯一
生誕 1923年10月19日
大日本帝国の旗 朝鮮(日本統治時代)京畿道華城市
死没 (1978-06-03) 1978年6月3日(54歳没)
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
所属組織

大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍

Flag of the Republic of Korea Army.svg 大韓民国陸軍
最終階級 少尉(日本陸軍)
中将(韓国陸軍)
墓所 国立大田顕忠院将軍第1墓域27号
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金 炯一(キム・ヒョンイル、김형일)は大韓民国軍人政治家

経歴[編集]

1923年、京畿道華城に生まれる。1945年、京城法学専門学校卒業。学徒出陣して日本軍少尉。

1946年2月9日付で軍事英語学校を卒業して少尉に任官(軍番10045番)[1]。第8連隊の創設に参加。1948年8月8日、第8連隊長(中領[2]。同年5月の表武源姜太武大隊越北事件の責任を負って辞任。

1949年6月20日、陸軍本部兵器監[3]。1950年3月に来日して第7師団で研修を受けていたが[4]朝鮮戦争が勃発すると帰国。同年8月、陸軍本部付戦況視察官(大領[5]。同年10月、陸軍本部特務部隊長[6]。1951年、第7師団長(准将)。1952年、陸軍本部情報局長[7]

1953年、アメリカ陸軍指揮幕僚大学卒業。1954年、陸軍本部情報局長。1956年12月、連合参謀本部長。1959年7月、第2軍団長。1960年9月、陸軍参謀次長、任中将。1961年3月、国防部長官特別補佐官。同年6月、反革命容疑で逮捕されたが、10月に起訴猶予となる。同年11月、予備役編入[8]

1963年11月、第6代国会議員(全国区、民政党)。民政党党務委員。京畿第10地区党委員長。

1967年6月、第7代国会議員(華城区、新民党)当選。新民党政務委員。1968年6月、新民党中央訓練院院長。1970年11月、同党政務委員・党紀委員。

1971年、第8代国会議員(華城区、新民党)当選。新民党事務総長。

1973年、第9代国会議員(華城区、新民党)。新民党院内総務。

叙勲[編集]

出典[編集]

  1. ^ 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、87頁。
  2. ^ 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、197頁。
  3. ^ 호국전몰용사공훈록 제5권(창군기) (PDF)”. 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 595. 2018年11月27日閲覧。
  4. ^ 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国編 中巻』、101頁。
  5. ^ 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国編 下巻』、216頁。
  6. ^ “[이상돈의 책을 통해 세상읽기]피로 얼룩진 격동과 혼란의 세월” (朝鮮語). 週刊京郷. (2015年12月15日). http://weekly.khan.co.kr/khnm.html?mode=view&artid=201512071730431&code=116 2016年1月31日閲覧。 
  7. ^ 白善燁. 군과 나. pp. 296. 
  8. ^ 豫備役編入 金炯一 陸軍中將” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年1月31日閲覧。
  9. ^ Kim Hyung Il”. Military Times. 2016年1月31日閲覧。

参考文献[編集]

  • 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』 原書房1976年 

外部リンク[編集]

軍職
先代:
申應均
陸軍本部兵器監
第3代:1949.6.20 - 1950.6.10
次代:
申彦俸