金敬姫
| 金 敬姫 김경희 | |
|---|---|
| 生年月日 | 1946年5月30日 |
| 所属政党 |
|
| 配偶者 | 張成沢(2013年死別) |
| 親族 | 父: 金日成、母: 金正淑、兄: 金正日 |
| 金敬姫 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 김경희 |
| 漢字: | 金敬姬, 金慶喜, 金景姫, 金慶姫 |
| 発音: | キム・ギョンヒ |
| ローマ字: |
Gim Gyeong-hui(2000年式) Kim Kyŏng-hŭi(MR式) |
| 英語表記: | Kim Kyong-hui |
金 敬姫(キム・ギョンヒ、김경희、1946年5月30日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。元朝鮮労働党中央委員会政治局員、元同党中央委員会書記局書記。確認されている最終軍歴は朝鮮人民軍大将。北朝鮮を建国した金日成の娘であり、第2代最高指導者の金正日の妹。第3代最高指導者金正恩の叔母にあたる。
経歴[編集]
金日成と金正淑の間に生まれる。金正日の同母妹。出生名は「敬子(경자)」、朝鮮独立後「敬姬(경희)」に改める。次兄の金万一が溺死したこともあってか、兄の金正日からは溺愛されたといわれている。朝鮮戦争中は、兄の金正日とともに疎開先の中国吉林省の学校に通学した[1]。
夫の張成沢とは金日成総合大学で共に経済学を学んだ事から知り合った。一時期、張成沢の身分が低いことから二人の交際を反対した父・金日成に彼は遠ざけられたが[2]、金正日の取り成しなどで結婚した。
1987年に朝鮮労働党軽工業部長に就任し、1990年以降は最高人民会議の代議員に選出されている。1995年10月に北朝鮮の公式報道に党中央委部長の肩書で登場して以来、13年間にわたり動静が伝えられなかったが、2009年6月8日に朝鮮中央放送などが金正日総書記の平壌音楽大学(김원균평양음악대학)への視察に、夫と共に同行したことを伝えた(視察の日付は不明)。
金正日の後継者として金正恩の名前が取り沙汰されるなか、2010年9月21日には韓国メディアが金敬姫を、金正日の後継者候補として最有力であると報じた[3]。その後9月28日に金正日は金正恩と金敬姫に朝鮮人民軍大将の称号を授けた。同日に開催された第3回党代表者会議で金敬姫は中央委員に選出され、直後の中央委員会総会で政治局員に選出された。
2012年4月11日に開催された第4回党代表者会議で金敬姫は中央委員会書記局書記に選出された。
夫・張成沢の処刑[編集]
2013年12月3日に夫・張成沢の失脚が発表され、同月12日に死刑判決を受け即日処刑された[4]。これにより、金敬姫自身も「権力闘争の過程で力を失いつつある」という見方も出ていたが[5]、張成沢失脚後に死亡した金国泰の国葬の葬儀委員に金敬姫が高い序列で名を連ねており、政治的地位を保っていることが確認された[6]。
なお、金正恩の指示により張成沢が処刑される直前に張とは離婚したとの報道もある[7]。夫の処刑後は粛清の対象となったかが注目されていたが、同月14日、朝鮮中央放送による金正日追悼大会争議委員の序列は6位であった[8]。しかし同月17日の金日成追悼大会の生中継にその姿が映ることはなかった[9]。
長年アルコール使用障害に苦しんでいるとされる。張成沢の処刑後の報道では、同年8月より深刻な認知症を患っており、人の見分けができない状態とも言われている[10]。また、夫の処刑されたショックから心臓発作を起こし危篤状態であり、治療のため海外に出国したという情報もある[11]。
失脚・死亡説[編集]
2014年1月6日付の朝鮮日報は韓国政府消息筋の話として張成沢の処刑後に自殺若しくは心臓麻痺により死去した可能性があると報じた[12]。また、後の北朝鮮消息筋の情報では、張成沢処刑後に出国しスイスやポーランドに滞在しているともされる[13]。2月16日に行われた金正日の72回目の誕生日行事(光明星節)には姿を見せなかった[14]。
2014年3月11日に発表された第13期最高人民会議代議員選挙の当選者名簿では、同名の人物の存在から前回選挙では2名分掲載されていた「金敬姫」の名前が1名分しか載せられなかったため、削除された方こそが金敬姫であり、彼女が代議員に再選されず引退若しくは失脚したと分析され[15]、同年4月9日に開催された第13期最高人民会議第1回会議でも最高幹部が居並ぶ雛壇に登場しなかった。その後、2016年1月17日の朝鮮中央テレビで、金敬姫と同名の別人の姿が代議員として映し出されたことで、金敬姫が2014年の選挙で再選されていなかったことが確定した[16]。
また2014年2月以降に放送された朝鮮中央テレビの記録映像からも編集により金敬姫が映っていた映像が削除されていたため、金敬姫の引退若しくは失脚がより確実視されたが[17]、同年4月29日の朝鮮中央テレビで再び金敬姫の姿が映った記録映像が放映されたことで、金敬姫に関する分析は分かれた[18]。
2014年11月に報道された脱北者・金恒光の話によれば、夫・張成沢の処刑の5日後である2013年12月17日、自宅で服毒自殺を図っているところを発見され、病院に搬送されたが死亡したとされた。遺書には金正恩を罵倒する言葉が並び立てられていたため、葬儀や報道が行われなかったとのことであった[19]。
2015年5月にCNNで報道された北朝鮮の元高官の証言によると、金正恩が2014年5月に金敬姫の毒殺を命じたとしたが[20]、デイリーNKの平壌内部情報筋と大韓民国国家情報院は毒殺説を否定した。デイリーNKの平壌内部情報筋によると、金敬姫は存命であるが張成沢の処刑によるショックでアルコール使用障害が悪化して神経が衰弱していて、治療でモルヒネを大量に使うため精神的に不安定だという[21]。
2016年5月に開催された朝鮮労働党第7次大会で、党中央委員会政治局、書記局に代わって新設された政務局のいずれの名簿にも掲載されなかった[22]。
家族 [編集]
- 張成沢 - 夫。(1946年 - 2013年)、2013年12月に党籍剥奪、全勲章を取り消された上で死刑判決を受け即時執行。敬姫とは長い間別居していたとの報道がある。
- 長女:張琴松(1977年 - 2006年)、フランス留学中に、飲酒後の睡眠薬大量摂取により死亡。
| 金希雲 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金繼祥 | 金繼鳳 | 金繼生 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金萬高 | 金德謙 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金者斤非 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金小老馬 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金於老味 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金於乙火 (1728-1813) (母:於仁伊) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金康洙 | 金旻洙 (1770-1854) (母:小岳伊) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金柳齡 | 金松齡 (1810-1899) (金膺禹養父) | 金柏齡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金宋烈 | 金元烈 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金膺舜 | 金膺禹 (1848-1878) | 金膺國 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金公鉉 | 金輔鉉 (1871-1955) | 李宝益 (1876-1959) | 金東鉉 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金亨稷 (1894-1926) | 康盤石 (1892-1932) | 金亨禄 | 金亨權 (1905-1936) | 金亨安 | 金亨德 (金公鉉養子) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金正淑 (1917-1949) | 金日成 (1912-1994) 本名:成柱 | 金聖愛 (1928-2014) | 金哲柱 (1916-1935) | 金英柱 (1920- ) 関東軍通訳官 | 金光柱 (日本在住) | 金明柱 (日本在住) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 洪一茜 (1942- ) (韓国語版) | 成蕙琳 (1937-2002) | 金英淑 (1947- ) (韓国語版) | 金正日 (1941-2011) 幼名:有羅 | 高英姫 (1953-2004) | 金玉 (1964- ) | 金万一 (1944-1947) 幼名:修羅 | 金敬姫 (1946- ) | 張成沢 (1946-2013) | 金平一 (1954- ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金恵敬 (1968- ) | 金正男 (1971-2017) | 金雪松 (1974- ) 黄炳瑞夫人説有 | 金春松 (1975- ) | 金正哲 (1981- ) | 金正恩 (1984- ) | 李雪主 (1989- ) | 金与正 (1987- ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 金錦率 (母:申貞姫) | 金漢率 (1995- ) (母:李惠慶) | 金ジミー (1997- ) (母:李惠慶) | 金東煥 (母:崔惠理) | 金率姫 (1998- ) (母:李惠慶) | 金現慶 (母:徐英蘭) | 男子 (2010- ) | 金主愛 (2013- ) (韓国語版) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注[編集]
- ^ “金総書記訪問の中国・吉林省は「幼い頃の思い出の地」”. 東亜日報. (2010年9月24日) 2017年10月5日閲覧。
- ^ ミヤネ屋 2013年12月16日放送より
- ^ “金正日の後継者、総書記の「妹」が最有力か=韓国メディア”. サーチナ. (2010年9月21日) 2011年2月14日閲覧。
- ^ “「クーデター画策」「政権に野心」「軍動員」北、異例の公表 機関銃で射殺情報も”. MSN産経ニュース (産経新聞). (2013年12月13日) 2013年12月13日閲覧。
- ^ “張氏の妻で正恩氏叔母、金敬姫氏も影響力低下か”. YOMOURI ONLINE (読売新聞). (2013年12月5日) 2013年12月13日閲覧。
- ^ 北朝鮮・検閲委員長が死去 葬儀委員に金敬姫氏の名 産経新聞 2013年12月15日
- ^ 張成沢氏、処刑直前に離婚か 「正恩氏が指示」との情報 朝日新聞デジタル 2013年12月16日閲覧
- ^ 北朝鮮・検閲委員長が死去 葬儀委員に金敬姫氏の名 msn産経ニュース 2013年12月15日閲覧
- ^ 金正日氏死去2年、追悼大会開く 正恩氏出席、張氏妻見当たらず 47News 2013年12月17日閲覧
- ^ 「金敬姫、8月から認知症で人の見分け付かず」 中央日報 2013年12月15日閲覧
- ^ 金慶喜、心臓発作で海外療養? 消息筋「追慕行事欠席するほど重体」…幹部ら「石の心臓でも耐えがたかった」 デイリーNK 2013年12月20日閲覧
- ^ 北朝鮮、張成沢氏の妻に死亡説 韓国紙報道 日本経済新聞 2014年1月6日閲覧
- ^ 張成沢氏の妻・金敬姫氏、欧州に…処刑後に出国 読売新聞 2014年1月30日
- ^ 故金総書記誕生日行事に李雪柱氏と金敬姫氏現れず 東亜日報 2014年2月17日
- ^ 北の代議員、半数以上交代…正恩体制で初の選挙 YOMIURI ONLINE 2014年3月11日
- ^ 金正恩氏の叔母、代議員に再選されず…処刑の張成沢氏の妻 Daily NK 2016年1月21日
- ^ 正恩氏の叔母、引退か…記録映画から映像を削除 YOMIURI ONLINE 2014年4月17日
- ^ 金正恩氏の叔母・金敬姫氏が記録映画に再び姿を現す、韓国政府は困惑―中国紙 FOUS-ASIA 2014年5月1日
- ^ 金正日氏の実妹金敬姫氏、昨年自殺―遺書で金正恩氏を罵倒 ウォールストリートジャーナル日本版 2014年11月26日
- ^ 金第1書記が「叔母の毒殺」指示 脱北の元高官語る CNN.co.jp 2015年5月12日
- ^ 北朝鮮、金慶喜氏毒殺説に否定情報・・・病気療養中だが生存 Daily NK 2015年5月13日
- ^ “朝鮮勞動黨19人政治局委員名單出爐”. 大公網 (2016年5月10日). 2016年6月1日閲覧。