金城次郎

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きんじょう じろう
金城 次郎
生誕 1912年
沖縄県
死没 2004年
職業 陶芸家
子供 娘1人 息子2人
金城次郎 線彫魚紋大皿(1967)

金城 次郎(きんじょう じろう、1912年大正元年)12月3日 - 2004年平成16年)12月24日)は那覇市生まれの陶芸家。国の重要無形文化財「琉球陶器」技能保持者(沖縄県で初の人間国宝)。子の須美子、孫の宮城三成も陶芸家。

略歴[編集]

  • 1914年(大正元年)12月3日、那覇市与儀で出生。
  • 1925年(大正12年) 新垣栄徳の製陶所に入門、壷屋の製陶に従事。
  • 1945年(昭和20年) 沖縄戦終結。
  • 1946年(昭和21年) 那覇市壺屋に築窯。濱田庄司河井寛次郎らの指導の元で壺屋焼を守り発展に努める。
  • 1958年(昭和33年) 「魚紋大皿」と「抱瓶」が、ルーマニア国立民芸博物館に永久保存となる。
  • 1958年(昭和33年)12月、東京三越本店にて「沖縄壺屋三人展」開催。
  • 1972年(昭和47年) 沖縄本土復帰読谷村に移住。
  • 1972年(昭和47年)11月21日、沖縄県指定無形文化財技能保持者に認定される。
  • 1977年(昭和52年)11月10日、「現代の名工」として労働大臣表彰。
  • 1978年(昭和53年)12月28日、高血圧で倒れ、4か月の静養。
  • 1985年(昭和60年)3月23日、人間国宝に認定、沖縄県功労章受章。
  • 1993年(平成5年) 勲四等瑞宝章受章。
  • 1997年(平成7年) 引退していたことが明らかになった[1]
  • 2004年(平成16年) 死去。享年92。

経歴[編集]

濱田庄司の助手[2]

河井寛次郎によると「珍しいくらい良く出来たひと、彫ったり描いたりする模様も上手く、陶芸の仕事で出来ないものはない。[3]

濱田庄司によると「次郎は考えないでつくる」。金城次郎によると「僕だって、考えておるさ[4]

70歳で脳梗塞で倒れた金城次郎に濱田庄司は「もう次郎は何をつくってもよい」といたわった[5]

金城次郎の皿に隙間なく並ぶ魚のデザインを見て閉口した濱田庄司は「これでは魚があんまり多くて息苦しそうだ」と述べている[6]

濱田庄司は金城次郎を目利きの多い東京で紹介したいという思いは1970年東京三越本店「沖縄壺屋三人展」の陳列時に、金城次郎の秀作に最も高い値段をうけるように濱田庄司は指示している[7]

評伝[編集]

  • 『沖縄の陶工 人間国宝 金城次郎』 大塚清吾・写真、日本放送協会出版、1988年
  • 松井健『金城次郎とヤチムン 民藝を生きた沖縄の陶工』 榕樹書林「がじゅまるブックス」 2016年

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-91240.html
  2. ^ 松井健『金城次郎とヤチムン 民藝を生きた沖縄の陶工』 榕樹書林「がじゅまるブックス」 2016年)
  3. ^ 松井健『金城次郎とヤチムン 民藝を生きた沖縄の陶工』 榕樹書林「がじゅまるブックス」 2016年)
  4. ^ 松井健『金城次郎とヤチムン 民藝を生きた沖縄の陶工』 榕樹書林「がじゅまるブックス」 2016年)
  5. ^ 松井健『金城次郎とヤチムン 民藝を生きた沖縄の陶工』 榕樹書林「がじゅまるブックス」 2016年)
  6. ^ 松井健『金城次郎とヤチムン 民藝を生きた沖縄の陶工』 榕樹書林「がじゅまるブックス」 2016年)
  7. ^ 松井健『金城次郎とヤチムン 民藝を生きた沖縄の陶工』 榕樹書林「がじゅまるブックス」 2016年)

外部リンク[編集]