金光敬蔵

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金光 敬蔵(かなみつ けいぞう、文化8年(1811年)-文久2年8月27日1862年9月20日))は、岡山藩士。金光宗高の子である金光太郎右衛門十一代目の子孫(与次郎系)。

経歴[編集]

弘化4年8月24日(1847年)に池田刑部(岡山藩家老の建部池田家(岡山県岡山市北区建部町)の池田博忠の事であり、弘化2年11月に弁之進から刑部に改名)に見出され、十三俵二人扶持徒士を皮切りに刑部の元に仕える。

出世を重ねて台所奉行に申付となり、勤めに励んでいたものの急病のため死去。行年51。

跡目は、子の正男が相続。


先代:
調査中
(金光宗高系)与次郎家10代当主
~1862
次代:
金光正男