金佐鎮

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金佐鎮
金佐鎮
各種表記
ハングル 김좌진
漢字 金佐鎭
発音: キム・ジャジン
日本語読み: きん さちん
ローマ字 Gim Jwa-jin
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金 佐鎮(きん さちん、1889年旧暦11月24日 - 1930年1月24日)は朝鮮の独立運動家。字は明汝、号は白冶。大倧教徒でもあった。[要出典]

生涯[編集]

忠清道洪城郡葛山面の出身。金衡圭。3歳の頃父を亡くす。大韓帝国陸軍武官学校韓国語版を卒業した軍人の傍ら、自ら学校を設立したり、大韓協会韓国語版畿湖興学会韓国語版などの愛国啓蒙運動を支援したりしていた。併合後の1911年、独立運動を謀ったため西大門刑務所に投獄される。釈放後、1913年大韓光復団に加入。満州に逃亡後徐一らとともに北路軍政署を組織。新民府の幹部として満州において独立軍の一派を組織し、1920年10月青山里戦闘などで戦闘の指揮を執った。

金佐鎮と金奎植ら600人は、農民に寄食していたものの、武器・資金に事欠き、この際武装活動を辞めて寧安県蜜山県地方で農民に転向するため、資金援助をハルビンの山内総領事に申し出てきたことが、1923年3月18日外務大臣宛に報告されている。[1]しかし外務省は難しいと回答。

1930年1月24日、共産勢力に所属していた元部下の朴尚実に銃撃され死去。

評価[編集]

  • 1962年、建国勲章大韓民国章を叙勲。独立有功者、「青山里大捷」を導いた「金佐鎮将軍」として知られる。
  • 共産主義者によって暗殺されたため、戦後の反共政策にのっとり、韓国での評価は高く、一方北朝鮮および中国では評価が低かった。しかし実際には青山里戦闘そのものが、きわめて誇張された話であると考えられている。しかしこれは大韓民国の「建国神話」の中核でもあり、政治的問題から韓国において歴史的な検証はほとんど進んでいない。[2]
  • 金完燮はインターネット上で、「金左鎮は李氏朝鮮時代ならまさに山賊一味の頭目」「金左鎮のせがれは、国会で肥溜めの中身を撒いたりしたやくざ者」と言及した。2006年2月22日、孫で女優のキム・ウルドンは、金完燮を名誉毀損罪でソウル中央地検に告訴した。またキム・ウルドンは2008年8月、独立有功者礼遇に関する法律改正案を建議し、名誉を傷つけた者に対しての罰則・罰金の強化を主張した[3]

親族[編集]

文献[編集]

  1. ^ 「独立国首領金佐鎮等救済方ノ件」
  2. ^ 韓国では独立有功者という身分があり、独立運動家の子孫と認定されると特典が付与される
  3. ^ 손주영 “민족 능멸하는 신종 매국노씨 말리겠다” (朝鮮語) breaknews.com 2008.8.30付記事

関連項目[編集]

外部リンク[編集]