野田村

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のだむら
野田村
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
九戸郡
団体コード 03503-3
法人番号 1000020035033
面積 80.80 km²
(境界未定部分あり)
総人口 4,080
推計人口、2016年10月1日)
人口密度 50.5人/km²
隣接自治体 久慈市
下閉伊郡岩泉町普代村
野田村役場
所在地 028-8201
岩手県九戸郡野田村大字野田第20地割14番地
北緯40度6分37.1秒東経141度49分3.7秒
Village Hall of Noda, Iwate, Japan.jpg
外部リンク 野田村の公式サイト

野田村位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト
野田村中心部周辺の空中写真。1977年撮影の2枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
野田村中心部。愛宕神社より眺める(2013年5月31日)
野田集落中心部(2013年5月31日)
野田村野田集落中心部の愛宕神社(2013年5月31日)

野田村(のだむら)は、岩手県九戸郡に属している太平洋に面したである。

地理[編集]

岩手県北東部にあり、北上山地の東麓、太平洋(野田湾)に面している。全般的に山地であり起伏が多い地形であるが、村北東部の宇部川の谷底や中部の根井付近の台地は起伏が少なくなっている。村内は北上山地の支稜が南北に走っており、村西縁には男和佐羅比山女和佐羅比山がある。

隣接している自治体[編集]

歴史[編集]

  • 1889年(明治22年)、野田村と玉川村が合併。役場は城内に設けられる。
  • 1896年(明治29年)、三陸沿岸に大津波。村の被害、死者261、負傷者62、流出家屋411
  • 1901年(明治34年)、野田郵便局開設。
  • 1910年(明治43年)、野田の塩煮すべて廃止。
  • 1913年(大正2年)、現国道45号が県道に認定。
  • 1933年(昭和8年)、三陸大津波来襲(死者8、負傷7、流出家屋58)
  • 1945年(昭和20年)、戦時特例で自家製塩盛んになる。
  • 1947年(昭和22年)、国民学校小学校と改称。別に野田中学校を開校。
  • 1949年(昭和24年)、野田浜での自由製塩廃止。下安家にサケふ化施設が完成。
  • 1973年(昭和48年)、国民宿舎えぼし荘営業開始。
  • 1975年(昭和50年)、国鉄久慈線開通。
  • 1980年(昭和55年)、岩手県立久慈工業高校開校。
  • 1984年(昭和59年)、三陸鉄道営業開始。
  • 1985年(昭和60年)、現役場庁舎落成式。
  • 1986年(昭和61年)、アジア民族造形館落成。
  • 1987年(昭和62年)、玉川鉱山観光坑道見学コースオープン。
  • 1992年(平成4年)、観光物産館「ぱあぷる」オープン。
  • 1994年(平成6年)、観光物産館ぱあぷるが道の駅に指定される。
  • 2011年(平成23年)、東北地方太平洋沖地震による津波で壊滅的被害を受ける[1]

産業[編集]

漁業[編集]

郵便局[編集]

  • 野田郵便局(集配局)
  • 玉川簡易郵便局

地域[編集]

人口[編集]

Demography03503.svg
野田村と全国の年齢別人口分布(2005年) 野田村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 野田村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
野田村(に相当する地域)の人口の推移
1970年 5,863人
1975年 5,168人
1980年 5,304人
1985年 5,382人
1990年 5,285人
1995年 5,204人
2000年 5,195人
2005年 5,019人
2010年 4,632人
総務省統計局 国勢調査より

教育[編集]

交通[編集]

道路[編集]

一般国道[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

名所・旧跡・観光[編集]

  • マリンローズパーク野田玉川
  • アジア民族造形館
  • 観光物産館ぱあぷる
  • 十府ヶ浦パークゴルフ場
  • のだ窯ギャラリーIZUMITA
  • 十府ヶ浦海岸
  • 大唐の倉
  • えぼし岩
  • 安家川
  • 野田まつり

出身有名人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 野田村まるで焼け野原/未曾有の大津波 デーリー東北新聞社 2011年3月14日

外部リンク[編集]