野口陽一

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野口 寅次郎(のぐち とらじろう)本名 野口 陽一(のぐち よういち)(1950年3月7日 生れ)日本お笑い芸人

人物[編集]

NTTの関連会社勤務の傍ら、「5時から芸人」、「サラリーマン芸人」と称して、ものまね漫談を披露していた。現在は寅さんのものまねを中心に活動をしている。ボーイズバラエティ協会所属[1]東京都ヘブンアーティスト[2]。東京善意銀行会員。血液型はAB型。

来歴[編集]

東京都新宿区に生まれる。埼玉県与野高校を卒業し,大学に入るため浪人するが2浪して諦め,フリーターを経てNTTグループ関連会社に就職する。

芸人を目指したのは,1979年4月に声帯模写の桜井長一郎主催の第1回おおむの会のものまねコンテストでグランプリを獲得したことに始まる。

1980年4月に上野鈴本演芸場で行われていた牧伸二漫談教室に入門した。

その後,テレビ朝日のザ・テレビ演芸に出演し,テニスプレーヤーのジョン・マッケンローをもじった「マッケンジョー」の芸名で,テニスラケット片手にものまねコントを披露することになったが,緊張のあまり酒を飲み,ネタを忘れて,司会の横山やすしに激怒された。その後しばらく充電期間となる。

1993年5月に「お笑いのぐち組」を結成し,1995年11月より,同メンバーらと江東区の「つるの湯 銭湯寄席」を開始する。

また,当時,柴又帝釈天の鳳翔会館で庚申の日(60日に一回の縁日)に行われる「柴又こうしん演芸」の創始者にもなっている。

1997年2月,ゆうばり映画祭「寅さんなりきりコンテスト」で準優勝した。

1996年8月より週末(毎月第2・第4土曜日)に行っている「柴又寅さんガイド」では,寅さんになりきって柴又のボランティアガイドを今日まで続けており,こうした活動に対して,2002年故渥美清さん七回忌追悼献花式において,山田洋次監督から,直々に感謝状を手渡されている。

また,2002年には,プロ芸人集団ボーイズバラエティ協会へ入会が許可され,浅草東洋館,新宿末広亭の寄席に出演を開始し,積極的に寅さんのものまねを通してメディアに出演している。

2007年から2008年にかけて、ANAスカイホリデーのツアー企画「寅さんを演じる感動案内人とゆく柴又散策」で感動案内人として柴又の案内をする[2]

2007年頃に,題経寺(柴又帝釈天)の節分祭における,力士などと共に,豆まきのメンバーに選ばれ,以後毎年,豆まきのメンバーとして参加している。

2009年,映画「アニと僕の夫婦喧嘩」に出演した。

2012年10月,題経寺(柴又帝釈天)の御前様より,「野口寅次郎」の芸名をいただく栄誉にあずかった。

2013年1月,芸名を「野口寅次郎」に改めたことを記念して,上野広小路亭において襲名披露公演を行った。

2012年11月から2014年4月にかけて,東北の被災地復興支援チャリティとして,都電荒川線の電車一両を貸し切って,電車内での「都電ライブ」公演を5回にわたり行った。

2014年1月26日,題経寺(柴又帝釈天)において,文化財防火デーのイベントとして,一日寅さん消防所長を務め,その後も,毎年,消防隊長を務めている。

2015年1月,お江戸日本橋亭において「新春寅さん早朝寄席」公演を行った。

2015年より,毎月10日(フーテンの日)の寅さんの日に「寅さんファミリー(リリー,さくら,博,おいちゃん)」と共に,帝釈天参道において,アピールしている。

出演TV番組

脚注・出典[編集]

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