野々内保太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野々内 保太郎(ののうち やすたろう、1902年 - 1985年12月5日)は、日本画家

人物[編集]

明治35年(1902年)島根県八束郡東出雲町(現・松江市)で生を受け、西山翠嶂に師事し京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)を卒業。「祥雲」という号を名乗っていたが、1932年から本名の保太郎へ改め、その翌年の1933年第13回帝展に「みやまの春」が初入選。以来、帝展・文展日展に28回の入選を重ねる。1959年皆川千恵子らと共に「牧人社」結成。画風は、細密かつ華麗な花鳥画を得意としていた。息子の、野々内良樹井上稔野々内宏の3人も絵の道に進み日本画家として活躍している。

経歴[編集]

  • 1902年 島根県八束郡東出雲町出雲郷(現・松江市)に生まれる。
  • 1935年 第13回帝展で「みやまの春」が入選。
  • 1959年 牧人社結成。

代表作[編集]

『みやまの春』

関連項目[編集]