里谷多英
獲得メダル | ||
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![]() | ||
女子フリースタイルスキー | ||
オリンピック | ||
金 | 1998 長野 | 女子モーグル |
銅 | 2002 ソルトレイクシティ | 女子モーグル |
里谷 多英(さとや たえ、1976年6月12日 - )は、日本の元フリースタイル・スキーモーグル選手。長野オリンピック金メダリスト・ソルトレイクシティオリンピック銅メダリスト(共に女子モーグル)。現在はフジテレビジョンに所属している。
来歴
北海道札幌市北区出身。札幌市立新陽小学校、札幌市立北陽中学校、東海大学付属第四高等学校(現:東海大学付属札幌高等学校)体育コースを経て北海道東海大学(現:東海大学札幌キャンパス)を卒業。
モーグルは、小学校5年生で始める。全日本選手権には、1989年度大会に6年生で優勝。中学校1年の1990年度大会は2位だったが、その後1991年度から6連覇を達成した。
1994年、リレハンメルオリンピックに出場し11位となった[1]。その後、スティーブ・フェアリングコーチの指導を2006年まで受けた[2]。
1997年7月に、父親を亡くし競技引退も考えたが[3][1]、父の残した「成績よりも、よいすべりを」の言葉を胸に[4]、翌1998年の長野オリンピックに出場し日本人女子選手として冬季オリンピック史上初の金メダルを獲得した。しかし、優勝直後にアルコール入りのシャンパンを一気飲みするパフォーマンスを行ったり、金メダル授与の表彰式での国旗掲揚の際に彼女が脱帽しなかった事などがそれぞれ問題となる。この里谷の振る舞いに対して日本オリンピック委員会に抗議が殺到、長野オリンピック日本選手団長の八木祐四郎は陳謝した[5]。
1999年4月、フジテレビジョンに入社。
金メダル獲得後も競技を続けたが成績は低迷し、さらに左足首骨折という大けがをした[1]。しかし、怪我によって一時滑れなくなったことから、スキーをしたいという意欲が増す。2002年のソルトレイクシティオリンピックで、冬季オリンピック3大会連続出場となり、2大会連続のメダルとなる銅メダルを獲得した[1]。冬季オリンピックで日本の女子選手が2つ目のメダルを獲得したのは史上初であった。
2003年11月に建設会社に勤める一般男性と結婚した[6]。
2005年2月、酒に酔って暴行事件を起こした[7]。刑事事件としては起訴猶予処分となったものの自ら全日本スキー連盟に強化選手から外してもらうよう申し出をして、2005年10月に了承された[8]。その後、フリースタイルスキー・ワールドカップには個人参加で出場を続け、2006年のトリノオリンピックへ4大会連続となる冬季五輪に出場。しかし、エアーの着地失敗が響いて決勝15位に終わった[9]。同年3月に離婚している[6]。
2006年から2007年にかけてのシーズンは、ワールドカップ等には出場せず腰の治療に専念した[10]。翌2007年9月、故障からの回復が認められて、強化C指定選手に認定された[11]。2008年3月22日、全日本選手権に出場し、12年ぶり8度目の優勝を果たした[7][12]。
2009年2月に行われたバンクーバーオリンピックのテスト大会は、航空券の手配ができずに欠場したが[13]、同月に、3年ぶりとなる日本国外のワールドカップに出場を果たした[14]。
2010年2月のバンクーバーオリンピックでは、5大会連続で冬季五輪日本代表に選出。バンクーバー五輪本番では上村愛子、村田愛里咲、伊藤みきと共に決勝に進んだが、第2エアーで転倒してしまい結局19位に終わり、これが最後の冬季五輪出場となった[7][15][16]。
2013年1月に現役引退を発表した[17]。同年2月23日、福島県猪苗代町のリステルパークで行われたW杯で、引退セレモニーが行われた[18]。
戦績
- リレハンメル大会 11位
- 決勝11位
- 予選27位
- 長野大会 金メダル
- 決勝1位
- 予選11位
- ソルトレイクシティ大会 銅メダル
- 決勝3位
- 予選6位
- トリノ大会 15位
- 決勝15位 22.12点 ターン=11.3(3.3, 3.8, 3.7, 3.8, 4.0), エアー=4.80, タイム=6.02(27秒51)
- 予選 9位 23.63点 ターン=12.4(4.1, 4.0, 4.1, 4.4, 4.2), エアー=5.12, タイム=6.11(27秒18)
- バンクーバー大会 19位
脚注
- ^ a b c d 里谷多英選手の銅メダルで学ぶ 碓井真史 新潟青陵大学HP
- ^ 里谷 10年五輪へ現役続行 Archived 2010年1月24日, at the Wayback Machine. スポーツニッポン 2006年4月4日
- ^ 里谷多英選手の金メダルで学ぶ親子関係の依存と自律の心理学 碓井真史 新潟青陵大学
- ^ 三上孝道『これだけは知っておきたい(11) オリンピックの大常識』株式会社ポプラ社、2004年、103ページ、ISBN 4-591-08135-4
- ^ “Even if the Cap Fits — Don't Wear It”. ワシントン・ポスト (1998年2月17日). 2010年7月21日閲覧。
- ^ a b “里谷が離婚へ”. スポーツニッポン (2005年3月3日). 2012年6月14日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年6月15日閲覧。
- ^ a b c “5度目の舞台、無念=里谷選手転倒、19位”. 時事通信 (2010年2月14日). 2010年2月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 里谷が指定選手から外れる Archived 2010年2月20日, at the Wayback Machine. スポーツニッポン 2005年10月12日
- ^ 里谷15位も現役続行へ Archived 2010年1月24日, at the Wayback Machine. スポーツニッポン 2006年2月13日
- ^ 里谷が今季W杯を断念 Archived 2010年1月24日, at the Wayback Machine. スポーツニッポン 2006年11月27日
- ^ 里谷 強化C指定選手に Archived 2013年1月21日, at the Wayback Machine. スポーツニッポン 2007年9月21日
- ^ 多英、地元札幌で復活V/スキー 日刊スポーツ 2008年3月23日
- ^ 航空券手配できず…里谷が五輪テスト大会欠場 Archived 2010年2月2日, at the Wayback Machine. スポーツニッポン 2009年1月28日
- ^ 多英W杯へ出発「100%出したい」 Archived 2009年12月16日, at the Wayback Machine. スポーツニッポン 2009年2月10日
- ^ “上村4位、メダルに届かず=村田8位、伊藤12位”. 時事通信 (2010年2月14日). 2010年2月14日閲覧。
- ^ “第2エア「景色がいつもと違った」 モーグル里谷、転倒”. asahi.com (朝日新聞社). (2010年2月14日). オリジナルの2010年6月20日時点におけるアーカイブ。 2013年1月23日閲覧。
- ^ “モーグル・里谷多英、引退へ…五輪で金と銅”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2013年1月18日) 2013年1月23日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “里谷、感極まるラストラン 猪苗代で引退セレモニー”. 産経新聞 (2017年2月23日). 2013年2月23日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年2月23日閲覧。
- ^ “Ladies' MogulsLadies' Moguls Finals”. バンクーバーオリンピック組織委員会 (2010年2月14日). 2010年2月14日閲覧。
- ^ “Ladies' MogulsLadies' Moguls Qualification”. バンクーバーオリンピック組織委員会 (2010年2月14日). 2010年2月14日閲覧。
外部リンク
- 里谷多英 - 国際スキー連盟のプロフィール (英語)
- 里谷多英 - Olympedia(英語)
- JOC(日本オリンピック委員会) - トリノ2006年冬季オリンピック 日本代表選手団のプロフィール
- スポニチ Sponichi Annex 五輪 Go!アスリート 里谷多英
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