都賀村 (千葉県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つがむら
都賀村
廃止日 1937年2月11日
廃止理由 編入合併
都賀村蘇我町都村検見川町千葉市
現在の自治体 千葉市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
千葉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 17.01 km2.
総人口 7,987
(1935年)
隣接自治体 千葉市千葉郡検見川町犢橋村都村
都賀村役場
所在地 千葉県千葉郡都賀村作草部770番地
座標 北緯35度37分32秒 東経140度07分04秒 / 北緯35.62547度 東経140.11767度 / 35.62547; 140.11767 (都賀村)座標: 北緯35度37分32秒 東経140度07分04秒 / 北緯35.62547度 東経140.11767度 / 35.62547; 140.11767 (都賀村)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

都賀村(つがむら)は、かつて千葉県千葉郡に存在していた村である。1937年(昭和12年)2月11日千葉市に編入され消滅した。

歴史[編集]

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、千葉郡内の西寺山村・萩台村・園生(そんのう)村・高品村・原村・東寺山村・宮野木村・殿台村・小中台村・作草部(さくさべ)村の10箇村が合併して誕生。「10箇村による合併」「新村発足を祝賀する」から「十賀」の意を込めて「都賀」と名付けた。村役場は萩台(現・千葉市稲毛区)に置かれた。
  • 1912年(明治45年)- 村内に2つあった尋常小学校(殿台尋常小学校三和尋常小学校)が統合して、都賀尋常小学校が誕生。
  • 1913年(大正2年)- 村役場を作草部に移転。
  • 1937年(昭和12年)2月11日 - 蘇我町都村検見川町とともに千葉市へ編入され消滅。旧村域は千葉市の大字となる。
  • 1938年(昭和13年)4月1日 - 大字を廃止し、旧村域の10の大字は町となる。大字西寺山が改称して源町となる。
  • 1945年(昭和20年)7月6日 - 千葉空襲により、都賀出張所が焼失。
  • 1992年(平成4年)4月1日 - 千葉市の政令指定都市移行に伴い、概ね旧・萩台村、作草部村、園生村が稲毛区、旧・西寺山村、殿台村、東寺山村、原村、高品村が若葉区、旧・小中台村、宮野木村が稲毛区・花見川区、一部が中央区となる。

変遷表[編集]

1868年
以前
1889年
明治22年)
4月1日
1937年
昭和12年)
2月11日
現在
小中台村 都賀村 千葉市へ編入 千葉市
園生村
宮野木村
殿台村
西寺山村
東寺山村
萩台村
原村
作草部村
高品村

現在の地名[編集]

都賀について[編集]

当時の都賀村は現在の稲毛区から若葉区にかけての広大な地域にまたがり、村役場が置かれる等、村の中心地域であったのは現在の稲毛区作草部および作草部町であった。現在もここに千葉市立都賀小学校や千葉市立都賀中学校が所在する。 現在では「都賀地区」とは若葉区のJR総武本線千葉都市モノレール都賀駅周辺を指すが、この駅名は総武本線都賀駅の前身である都賀信号所が設置された1912年(大正元年)当時、その所在地が都賀村に属していたことによるものであるが、都賀村の中では東北端に当たり、村の中心部からは離れていた。村の中心部の作草部へは1963年(昭和38年)の移転前の千葉駅だったが、現在では千葉都市モノレール作草部駅が最寄りとなる。

経済[編集]

産業[編集]

農業

『大日本篤農家名鑑』によれば、都賀村の篤農家は「岩佐要蔵、石橋要治、海寶亀多、黒子清太郎、豊田康之允、萩原顕之允、豊田光太郎」などがいた[3]。農業を営む人物は「石橋善左衛門[4]、石橋與吉[4]」などがいた。

教育[編集]

名残[編集]

行政[編集]

郡会議員[編集]

4年ごとに選出され、都賀村の定員は1人。
  • 湯浅浅右衛門(明治32年)
  • 石橋善三郎(明治36年)
  • 松本善太郎(明治40年)
  • 宍倉清蔵(明治44年)
  • 湯浅覚蔵(大正4年)
  • 湯浅宣蔵(大正8年)

歴代村長[編集]

  • 石橋善三郎(初代村長・千葉郡会議員)
  • 湯浅浅右衛門(二代目村長・千葉郡会議員)
  • 萩原顕之亟(三代目村長)
  • 湯浅覚蔵(四代目村長・千葉郡会議員)
  • 石橋庸治(五代目村長)
  • 笠原正亮(六代目村長)
  • 黒子清太郎(七代目村長)

脚注[編集]

  1. ^ 1992年に千葉市が政令指定都市になる際に、一部が花見川区に分離された。(現・花見川区西小中台)
  2. ^ 同じく、一部が花見川区に分離された。(現・花見川区宮野木台)
  3. ^ 『大日本篤農家名鑑』303頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年8月19日閲覧。
  4. ^ a b 『千葉県紳士名鑑』いの部64頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年3月30日閲覧。

参考文献[編集]

  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 千葉県千葉郡教育会編『千葉県千葉郡誌』千葉県千葉郡教育会、1926年。
  • 松田卯太郎編『千葉県紳士名鑑』江東出版協会、1926年。
  • 千葉市誌編纂委員会編『千葉市誌』千葉市、1953年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]