紀伊 (列車)

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紀伊
運行者 日本国有鉄道(国鉄)
列車種別 急行列車
運行区間 東京駅 - 紀伊勝浦駅
経由線区 東海道本線関西本線紀勢本線
使用車両 EF65形電気機関車DD51形ディーゼル機関車14系客車
運行開始 1968年10月1日
運行終了 1984年2月1日
備考 廃止時現在
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紀伊(きい)は、日本国有鉄道(国鉄)が1968年から1984年まで東京駅 - 紀伊勝浦駅間を東海道本線関西本線紀勢本線経由で運行していた夜行急行列車、後に特急列車である。

本項では、東京奈良県紀伊半島の沿線都市を結んでいた優等列車についても記載する。

概要[編集]

「紀伊」は東海道新幹線の開業により利用客が減少した東京駅 - 湊町駅(現在のJR難波駅)間の「大和」、東京駅 - 鳥羽駅間の「伊勢」、東京駅 - 紀伊勝浦駅間の「那智」の各列車を統合した急行列車として、1968年10月に東京駅 - 王寺駅・鳥羽駅・紀伊勝浦駅間で運転を開始した。なお、王寺駅発着列車の奈良駅 - 王寺駅間は普通列車として運転されていた。

運転開始当初から東京駅 - 名古屋駅間は急行「出雲」2号・3号と併結運転が行われていたが、1972年3月に鳥羽駅・王寺駅発着の列車を廃止して東京駅 - 紀伊勝浦駅間のみの運転になると、「銀河」1号(上下とも)と 東京駅 - 名古屋駅間で併結運転を行うようになった。

1975年3月には特急に格上げされ、いわゆる「ブルートレイン」の一群となったが、東京駅発着のものとしては当時最短の621km営業キロ)であった[1]

1984年2月に廃止されている。

末期の運行概況[編集]

停車駅・時刻[編集]

停車駅 東京駅 横浜駅 熱海駅 沼津駅 静岡駅 名古屋駅 四日市駅 亀山駅 津駅 松阪駅 多気駅 紀伊長島駅 尾鷲駅 熊野市駅 新宮駅 那智駅 紀伊勝浦駅
下り 21:00発 21:26発 22:32発 22:52発 23:36発 (運) 3:13着 3:43着 4:02着 4:11着 5:16着 5:45着 6:24着 6:58着 7:17着 7:22着
上り 6:25着 5:58着 4:40着 4:16着 1:00発 0:04発 23:37発 23:08発 22:49発 22:40発 21:36発 21:06発 20:32発 20:00発 19:38発 19:34発
記号
←・→:通過
(運):運転停車

使用車両・編成[編集]

PJRPJRNC
1974年に実施した組み替え後14系寝台車の編成図
PJRPJRNC
「紀伊」
東京 →
14系客車寝台特急
編成 基本編成 付属編成
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
座席種類 B A B B B D B B B B B B B B
形式 スハネフ
14
オロネ
14
オハネ
14
オハネ
14
オハネ
14
オシ
14
オハネ
14
スハネフ
14
スハネフ
14
オハネ
14
オハネ
14
オハネ
14
オハネ
14
スハネフ
14
座席種類
A= 開放式A寝台、B= 開放式3段B寝台、D= 食堂車
1975年3月10日国鉄ダイヤ改正による変更
列車名 基本編成 付属編成 備考
さくら 東京駅 - 長崎駅 東京駅 - 佐世保駅 1972年の14系置き換え当時と同じ。
あさかぜ
下り 2号
上り 3号
1975年3月10日ダイヤ改正により列車廃止
みずほ 東京駅 - 熊本駅 東京駅 - 長崎駅間 1972年の14系置き換え当時から変更。
いなば
紀伊
東京駅 - 米子駅
「いなば」
東京駅 - 紀伊勝浦駅
「紀伊」
「いなば」に連結の食堂車は営業休止。
「いなば」は1978年10月1日より東京駅 - 出雲市駅間の「出雲」3・2号として運転。
ただし、「出雲」2号・3号でも連結の食堂車は営業休止とした。

客車は、品川客車区(現在の田町車両センターに相当)所属の14系客車が使用されていた。開放式B寝台のみで組成された。特急格上げ後当時、二方向への別愛称特急列車とともに、東京駅発着の定期寝台特急列車としては異例とされた編成であった。

機関車は、東京駅 - 名古屋駅間をEF65形電気機関車(1000番台)[2]が、名古屋駅 - 紀伊勝浦駅間をDD51形ディーゼル機関車が牽引していた。

東京対奈良・紀伊半島沿線都市間夜行列車沿革[編集]

大和[編集]

1949年9月に準急列車として東京駅 - 名古屋駅間で運転を開始した列車である。1950年10月に急行列車化とともに運転区間も東京駅 - 湊町駅・鳥羽駅間に運転区間が延長され、同年11月に列車名が付与された。

利用客の増加により、1954年10月に鳥羽駅発着編成の連結が中止され、寝台車も連結されるようになった。1962年3月からは二等寝台車が1両連結され、王寺駅で増解結を行って和歌山線の普通列車と併結運転することにより、東京駅 - 和歌山市駅間でも運転されるようになった。

1964年10月に東海道新幹線が開業したことにより、東京駅 - 名古屋駅間では「能登」と併結運転されるようになり、1968年10月に「紀伊」に統合されて独立した列車としては廃止された。1972年3月、「紀伊」の編成としても廃止され、完全廃止となった。

伊勢[編集]

東京駅 - 鳥羽駅間の直通列車は1926年(大正15年)8月15日より、1943年(昭和18年)まで快速列車241・242列車が設定された。この快速列車の場合、いわゆる伊勢神宮参詣のための速達列車という意味合いのほかに東京駅 - 名古屋駅間の夜行列車の増発ともされている。また、現在ではA寝台に相当する二等寝台車を連結していたため、新任大臣が伊勢神宮参詣に利用する場合が多かったといわれる。

戦後は、「大和」の利用客の増加によって同列車に連結されていた鳥羽駅発着の編成の増強を行うために独立した列車として、1953年11月に東京駅 - 鳥羽駅間で運転を開始した。しかし、夜行列車としての使命は東京駅 - 名古屋駅間であったため、名古屋駅 - 鳥羽駅間は5両編成で運転されていた。東海道新幹線開業後は、名古屋駅 - 鳥羽駅間は近畿日本鉄道の利用に移ったため1968年10月に「紀伊」に統合されて独立した列車としては廃止された。1972年3月、「紀伊」の編成としても廃止され、完全廃止となった。

なお、2013年10月~2014年3月に運行した臨時急行「いせ」については近鉄特急史#名古屋 - 伊勢間を参照。

那智[編集]

紀勢本線の全線開業により1959年7月に東京駅 - 新宮駅間で運転を開始した急行列車である。運転開始当初は臨時列車であったが、同年8月にははやくも定期列車に変更された。4両編成と短編成であったが、二等寝台・二等合造車が連結された。利用客を着実に増やし、1961年10月から一等寝台車の連結を開始し、1964年10月には東京駅 - 紀伊勝浦駅間に運転区間が延長された。

沿革[編集]

戦後の展開[編集]

  • 1948年昭和23年)7月1日:東京駅 - 名古屋駅間で毎日運転の不定期夜行列車として、準急2035・2036列車が運転開始。
  • 1949年(昭和24年)9月15日2035・2036列車が定期列車化され、列車番号31・32列車に変更される。
  • 1950年(昭和25年)
    • 10月1日:31・32列車が東京駅 - 湊町駅・鳥羽駅間(関西本線経由)に運転区間が延長されるとともに、急行列車化(亀山駅 - 鳥羽駅間は普通列車)。
    • 11月8日:東京駅 - 湊町駅・鳥羽駅間(関西本線経由)の急行列車に「大和」の列車名が付与される。
  • 1953年(昭和28年)11月11日:東京駅 - 鳥羽駅間で「伊勢」(いせ)が運転開始。
  • 1954年(昭和29年)5月1日:「大和」に二等寝台車が連結開始[3]
  • 1956年(昭和31年)11月19日:「大和」「伊勢」に三等寝台車が連結開始。

紀勢本線全通とその後[編集]

  • 1959年(昭和34年)
    • 7月15日:紀勢本線全通により、東京駅 - 新宮駅間で毎日運転の臨時列車として急行「那智」(なち)が運転開始。東京駅 - 多気駅間は「伊勢」と併結運転[4]
    • 9月22日:「那智」が定期列車化され、「伊勢」とともに東京駅 - 名古屋駅間で「能登」と併結運転を行う。
    • 9月26日伊勢湾台風により運行休止。同年10月23日より11月25日の関西本線復旧まで東海道本線・草津線経由で迂回運転[5]
  • 1961年(昭和36年)10月1日:「那智」「伊勢」が、「能登」との併結運転を中止。
  • 1962年(昭和37年)3月10日:「大和」に東京駅 - 和歌山市駅間の2等寝台車1両が連結開始(和歌山線内では普通列車と併結運転)[6]
  • 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、以下のように変更[7]
    1. 「大和」が全車寝台化。
    2. 「伊勢」が全車指定になり、下りは「大和」と、上りは「那智」と併結運転開始。
    3. 「那智」の運転区間が東京駅 - 紀伊勝浦駅間に変更。併結列車が観光団体列車「南紀観光」に、上りは「伊勢」に変更。
  • 1965年(昭和40年)10月1日:このときのダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。
    1. 「大和」と「能登」の併結運転が再開。
    2. 「那智」と「伊勢」の併結運転が再開。

東京対紀伊半島直通列車「紀伊」[編集]

伊勢参り列車「いせ」[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 「紀伊」と同時期に登場した「安芸」(新大阪駅 - 下関駅間・呉線経由:565.3km)・「北陸」(上野駅 - 金沢駅間・信越本線長岡駅経由:517.4km)と同じく、格上げに名を借りた値上げという意見もあったとされる。
  2. ^ EF65形は宮原機関区(現在の宮原総合運転所)が担当した。
  3. ^ 『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年、p.193。
  4. ^ 『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年、p.203。
  5. ^ 『中部日本新聞(現・中日新聞)』中部日本新聞社(現・中日新聞社)、1959年10月21日付夕刊。
  6. ^ この結果、この当時東京と鉄道で直接連絡する本州九州の府県庁最寄り駅のうち、山陽本線からはずれる山口線山口駅を除き直通することになった。
  7. ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.367。
  8. ^ 『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年、p.233。
  9. ^ EF58形電気機関車の運用は基本的に浜松機関区が担当し、同区所属の60号機も使用された。末期は宮原機関区が担当する場合もあった。

参考文献[編集]

関連項目[編集]