邑井貞吉

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邑井 貞吉(むらい ていきち)は、講釈師の名跡。

初代[編集]

後の3代目一龍斎貞山。本名:内山 孝七。

2代目[編集]

本名:村井 徳一。(天保12)1841年 - (明治43)1910年4月8日。俳名は松籟庵はじめ。

江戸牛込南町の御家人の子として生まれ、幼名を重吉、15歳で旭堂南鱗に弟子入りを試みたが断られ、16歳で初代真龍斎貞水(後の2代目一龍斎貞山)の門下で菊水、貞水が貞山の襲名に伴い貞朝を経て、その後何度か改名し初代貞吉が貞山を襲名に伴い2代目一龍斎貞吉を襲名、後年に本名から村井貞吉とした。晩年実子に邑井貞吉の名を譲り自ら邑井一(むらい はじめ)を名乗った。

得意ネタは「玉菊灯籠」「五福屋政談」「加賀騒動」「伊達騒動」「小夜衣双紙」「曽我物語」など。

長男が3代目、四男が歌舞伎役者中村竹三郎。弟子に邑井操、2代目邑井吉瓶邑井蘭瓶らが著名。

3代目[編集]

本名:村井 為久。(文久2)1862年10月 - (明治35)1902年11月7日没。41。

江戸牛込の生まれ、2代目の子で幼いころから吉雄の名で高座に出る。新作講談が売りであった、主なネタに「浮城物語」「清水定吉」。

4代目[編集]

本名:相川 喜太郎(あいかわ きたろう)、甲府生まれ。(明治12)1879年10月28日 - (昭和40)1965年2月11日。講談組合頭取を長らく続け周囲から「貞吉頭取」と呼ばれていた。

  • 5歳の時東京に移る。
  • 1895年に3代目邑井貞吉に入門し、邑井吉弥。
  • 1905年10月、4代目邑井貞吉を襲名。

当時名人上手が多くいたので矢野龍渓や村上浪六等の文芸物を手掛けるようになったという。当時の小説「当世五人男」「新比翼塚」等を多く講談化した。古典では「漢楚軍談」「三国志」など、その他にも2度渡米し、新聞雑誌をよく読み世界情勢を講談に取り入れたりした。講談組合頭取会長も務める。