進歩党 (日本 1987-1993)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
日本の旗 日本政党
進歩党
Progressive Party(PP)
成立年月日 1987年1月22日
解散年月日 1993年8月2日
解散理由 代表の政界引退
政治的思想・立場 保守主義中道主義
テンプレートを表示

進歩党(しんぽとう)は、かつて日本に存在した政党

沿革[編集]

  • 1992年
    • 参議院比例区順位をめぐる金銭疑惑が浮上し、依田らが離党して進歩自由連合を結成。結局参院選では神奈川選挙区から円山を擁立したが落選に終わる[11]
  • 1993年
    • 7月の総選挙に田川は出馬せず引退を表明[12]8月2日に進歩党は解散する。6年間の党史の中で当選した国会議員は田川だけに終わった。

地方組織[編集]

  • 北海道、岩手県、宮城県、栃木県、群馬県、茨城県、東京都、千葉県、神奈川県、静岡県、愛知県、長野県、滋賀県、京都府、奈良県、大阪府、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、鹿児島県などで都道府県連組織や支部組織が結成されていた。しかし国会議員を当選させたのは神奈川県だけで、地方議員候補すら擁立できない組織が多かった。

他党との関係[編集]

参院選比例区金銭疑惑[編集]

  • 1989年の参院選比例区の名簿順位をめぐって、順位は候補陣営からの献金額で決まったのではないかという疑念が選挙後、党内に発生。1位指名を受けた候補・青木勝治が自ら党の会議で明らかにするに及んで党内は混乱し、真相究明を求める若手党員が政治団体「進歩党をまじめに考える会」を結成したり、田川らを東京地検特捜部に告発し、田川も告発した党員を誣告罪で逆告訴するという泥沼状態に陥った。このことで党勢拡大はストップし、党東京都連代表依田米秋ら離党者も相次いだ。そして田川の政界引退とともに党は解散するに至った。
  • 東京地検特捜部を舞台にした告訴合戦は双方とも不起訴に終わった。「進歩党をまじめに考える会」機関紙の記事内容をめぐって横浜地方裁判所で続いていた同会代表の進歩党山口良樹県連合所属党員(当時26歳)[13]と進歩党所属鎌倉市議会議員助川邦男[14]の民事訴訟は、山口県連党員側が実質勝訴した。

党勢の推移[編集]

衆議院[編集]

選挙 当選/候補者 定数 備考
(結党時) 1/- 512  
第39回総選挙 1/7 512  

参議院[編集]

選挙 当選/候補者 非改選 定数 備考
(結党時) 0/- - 252  
第15回通常選挙 0/10 0 252  
第16回通常選挙 0/1 0 252  
  • 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。

[編集]

  1. ^ a b 「元新自由ク代表田川誠一氏死去」『日本経済新聞』2009年8月8日、14版、39面。
  2. ^ 「白河忠一」とも表記される。イズミヤ役員。当時、会社役員もこなしながら政党活動をしていた。
  3. ^ 東京都渋谷区議会議員で、区議会で監査委員・副議長を務めている。
  4. ^ 松沢は松下政経塾出身。父親松沢一郎が田川支援者であった縁で新自由クラブから神奈川県議選挙を予定していたが、同党の解散と田川による進歩党結党を受けて同党推薦で立候補・当選した。平成3年の県議再選直後に自由民主党に入るも、平成5年(1993年)に新生党公認で衆議院議員(神奈川県第2区)に当選し、新進党を経て神奈川9区で再選し民主党に移った後、平成15年に神奈川県知事当選。2期目途中の平成23年に東京都知事転出を目論見辞任するも失敗し、その後平成25年にみんなの党公認で参議院議員に当選した(神奈川県選挙区)。その後、次世代の党幹事長になるも事実上解任され、参議院会派「参議院クラブ」代表を経て希望の党入党。現在、同党代表
  5. ^ その後1996年の総選挙で、菅直人の対立候補として自民党公認で出馬
  6. ^ 山崎は平成9年(1997年)に葛飾区議会議員に当選し、自民党会派に属した
  7. ^ 阿部は都議を1期務め、途中で自民党に移籍。落選後は太陽党民主党と籍を移した
  8. ^ 日本社会党所属の千葉県議、その後茨城県議選に出馬した経験もある
  9. ^ その後1993年杉並区から都議に選出され(民主党)に所属。東京都議会議長を経て現在は杉並区長
  10. ^ その後1996年の総選挙に新進党公認で出馬、後に都築譲陣営の選挙違反で逮捕される
  11. ^ なお、比例区では日本新党を支持
  12. ^ 田川の地盤を継いだ永井英慈は日本新党公認で立候補、当選した
  13. ^ 新自由クラブで当選した川合武や田川両衆議院秘書を務めた。1987年神奈川県議会議員選挙(横浜市磯子区選挙区)に進歩党推薦で立候補するも落選。のちに自由民主党衆議院神奈川13区総支部事務局長を経て、海老名市議会議員
  14. ^ 助川はその後、鎌倉市議会議長となるが、市の公務を無視して海外旅行に行っていたことが発覚し、辞任

関連項目[編集]