造海城

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造海城
千葉県
造海城遠景
造海城遠景
別名 百首城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 真里谷信興
築城年 寛正2年(1461年
主な改修者 正木氏
主な城主 真里谷氏正木氏
廃城年 天正18年(1590年
遺構 空堀、石垣、土塁、井戸
指定文化財 未指定
位置 北緯35度12分20.02秒
東経139度50分23.38秒
地図
造海城の位置(千葉県内)
造海城
造海城

造海城(つくろうみじょう)は、千葉県富津市竹岡にあった日本の城

概要[編集]

造海城は、真里谷氏によって築かれた山城。里見氏の支配下に入った天文6年(1537年)以降、里見氏の対北条氏最前線として重要な役割を果たした。

歴史・沿革[編集]

構造[編集]

浦賀水道に面した南北に伸びる独立性の高い丘陵上に占地し、西面を浦賀水道、北面を白虎川に守られた天然の要害である。

郭は尾根上に四郭を設け、西側に伸びる支尾根上及谷の上部に郭が重ねられている。東側の地形は西側に比べて起伏に乏しいが、三柱神社脇の尾根筋及び外部へと繋がる尾根筋に普請が認められる。後者は灯篭坂大師から伸びる大手道を、後者は延命寺・三柱神社にあったと考えられている居館をそれぞれ守る目的で設けられたものと考えられる。この他に、大手尾根の付け根付近に木出根と呼ばれる場所があり、腰郭が設けられている。

考古資料[編集]

遺構[編集]

山上の遺構はほぼ完全に残っており、空堀や石垣、土塁、及び井戸が残る。ただし、後に台場が設けられたため、幕末期の遺構も混在する。

関連項目[編集]