揖斐川電気モハニ1形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
近鉄モニ5001形電車から転送)

揖斐川電気モハニ1形電車(いびがわでんきモハニ1がたでんしゃ)は、かつて揖斐川電気の鉄道線(現・養老鉄道養老線)で運用されていた電車である。

後に関西急行電鉄へ引き継がれ、モニ5001形[1]となり、近鉄へ引き継がれた。

概要[編集]

  • 全線電化に合わせて、1923年(昭和3年)に日本車輌製造で電動車10両(モハニ1 - 10)と付随車3両(クハ101 - 103)が製造された。電装品はGE製であり、当時の社長の立川勇次郎が自ら買いいれたという。車体は木造で、一般的な15m級車両より一回り小さいのが大きな特徴の両運転台車であり、電動車は新造時にはGE製の大型パンタグラフを装備し、外観上の大きな特徴であった。正面は丸みを帯びた3枚窓であった。
  • 運転席後部に荷物室(容量5.6m3、最大積載量1.0t)が設けられ、側面配置は「1D11D1(D)1」((D)は手荷物室扉。両車端1窓部分は乗務員室)となっている。
  • 1928年(昭和3年)には、東洋車輌で電動車2両(モハニ11 - 12)と付随車4両(クハ201 - 204)が製造されたが、これらは半鋼製であった。
  • 3、5、10は事故により破損し、復旧後に改番され、21、31、33となった。
  • 関西急行時代に改番され、電動車は従来の番号に5000番台、付随車は5400番台をつけられるが、番号の整理により8は5003、9は5005となった。
  • 近鉄時代に車体の鋼鉄化や荷物室の撤去、片運転台化などで改番が行われたが、製造時から殆ど養老線で使用され続け[2]1970年から1971年にかけて廃車となった。

各車輌の経歴[編集]

  • 1・2
    •  関西急行時代にモニ5001、5002に改番。1955年(昭和30年)頃に車体を鋼体化されたが、正面は3枚窓で原型に近い状態であった。1964年(昭和39年)に片運転化と荷物室撤去改造を受け、モ5001、5002に改番された。
  • 3
    • 事故後に半鋼体化し21として復旧。関西急行時代にモニ5021に改番。1958年(昭和33年)に片運転化。
  • 4・6・7・8・9
    • 関西急行時代に改番。その際8はモニ5003、9はモニ5005になっている。1955年に車体を鋼体化した際、正面は丸みのある3枚窓から平面の2枚窓になっている。モニ5005からモニ5007はこの改造時に片運転化しモニ5041からモニ5043に改番している。モニ5004は1965年(昭和40年)に片運転化と制御車化され、クニ5321となった。モニ5005も同時期に片運転化と制御車化され、クニ5331となった。
  • 5・10
    •  事故後に31・32として復旧。関西急行時代にモニ5031、5032に改番。1964年にモニ5031は制御車化されクニ5331となった。
  • 11・12
    • 関西急行時代にモニ5011・5012に改番。5011は1959年(昭和39年)、5012は1958年(昭和33年)に荷物室撤去、片運転化、正面2枚窓化の改造を受け、モ5011・5012となった。
  • 101 - 103
    • 伊勢電気鉄道時代にクハ401 - クハ403に改番後、関西急行時代にク5401 - ク5403に改番。1955年に車体を鋼体化。
  • 201 - 204
    • 伊勢電気鉄道時代にクハ411 - ク414に改番後、関西急行時代にク5411 - ク5414に改番。

主要諸元[編集]

新製時

  • 全長:14,523mm
  • 全幅:2,490mm
  • 全高:3,951mm
  • 自量:28.5t
  • 定員:74人(内座席40人)
  • 主電動機:GE-269-C型 37.4kW×4基

脚注[編集]

  1. ^ モ5001形と呼ぶ場合もある。
  2. ^ 一時期伊勢線でも運用された。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]


  1. ^ 大垣市立図書館に当時の西大垣駅長より寄贈されたものがあり、閲覧可能。