近藤薫明

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こんどう しげあき

近藤 薫明
現況 故人
国籍 日本🇯🇵
別名 くんめい先生
教育 國學院大学卒業
職業 教育者
活動期間 - 1992年
著名な実績 城北中学校・高等学校第六代理事長
城北埼玉中学校・高等学校初代理事長
代表作 日本史問題の解釈 : 最近の入学試験問題増補
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近藤 薫明(こんどう しげあき)は、日本教育者、学校経営者である。旧制東京府立第四中学校(現:東京都立戸山高等学校)教諭、城北中学校・高等学校学校長・理事長、及び城北埼玉中学・高等学校を創立するなど中等教育機関の教育と経営・創立に携わった。

人物[編集]

國學院大學卒業。旧制東京府立四中(現:都立戸山高校)歴史科教諭から転じて、深井鑑一郎が1941年(昭和16年)に創設(再興)した旧制城北中学校(現:城北中学校・高等学校)で教鞭をとり、1943年(昭和18年)に同校第2代学校長となる[1][2] 。深井鑑一郎の教育理念に感銘を受け、のちに埼玉県川越に城北埼玉中学・高等学校を設立し、初代理事長を務めた。

1976年(昭和51年)に國學院大學院友会第8代会長。

著書に『私と城北』がある。城北埼玉中学・高等学校の生徒からは「くんめい先生」の愛称で親しまれている。

学校経営[編集]

昭和43年(1968年)から昭和53年(1978年)まで城北中学校・高等学校の理事長を務めた[2]

昭和55年(1980年)の創設から平成4年(1992年)まで城北埼玉中学・高等学校の理事長を務めた[3]

エピソード[編集]

東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)の教諭を務めていた際に、牛込高等女学校(豊島岡女子学園の前身校)の校長就任を打診された[4]

のちに牛込高等女学校の校長を引き受けた二木謙三の『静座法』を旧制中学時代に愛読していたこともあって、授業前の静座を考案した。現在でもこの習慣は城北中学・高等学校と城北埼玉中学校・高等学校の授業前に見られる[5]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 理事長挨拶”. 城北埼玉中学・高等学校 | 埼玉県川越市. 2022年5月12日閲覧。
  2. ^ a b 城北学園の沿革”. 城北中学校・高等学校. 2022年10月19日閲覧。
  3. ^ 『私立中学校高等学校受験年鑑』大学通信、8/31、710頁。 
  4. ^ 「城北学園35年史」 城北中学校・高等学校
  5. ^ 城北高校の歴史”. 2022年5月12日閲覧。